何かのきっかけがあるとお客さんは店に入ってくれる

 大学を卒業して、居酒屋を開業するまでに10年間ほどの前歴があります。

 居酒屋を開業してから、なぜかうまくいってとんとん拍子に5店舗を出店し、下北沢に家を建てて、このときに大学時代のサークルでさんざん練習した女性の口説き方が大きな効果を発揮してしまい、これらの5軒の居酒屋と1軒の家を下北沢に置いてきました(笑)。

 ここからが「楽コーポレーション代表」という私の人生が始まりました。

 このときにはお金が本当にありません。最初に手掛けたのが三十数年前、経堂の人通りの何もない「汁べゑ」という5坪の店です。

 店は大工さんにベニヤ板を張ってもらい、その後スーパーマーケットで1本100円の障子紙を買ってきて、ベニヤ板の壁に張りました。自分ではきれいに貼れないので、障子紙をちぎって貼ったところ、まだら模様のいい感じになりました。でも貼ったら真っ白になってしまった。「これじゃ雰囲気が出ないな」ということで、しょう油を霧吹きに入れてシュシュッとかけたところもっといい感じになりました。これをひとなめしたらいい味がしました(笑)。

 5坪の店でしたから客席は13か14くらいです。でも下北沢で5軒やっていたときに比べるととても可能性を感じました。当時アルバイトの若者たちとよく話をしていたことは「商売は屋台からやれるんだ」ということでした。以前から博多・中洲の屋台に憧れていたのですが、この5坪の店はまさに屋台そのものでした。

 この店では偉大なパートナーである今の奥さんと一緒に働いていました。

 私が、この店を始めるときに奥さんに「これから屋台を始めるんだ」と言ったら、「私も後ろから引っ張るわ」という。

 当時、私は奥さんと結婚したばかりで有頂天になっていて、「いいことを言う女房だなあ」と思っていたのですが、屋台を私が引っ張っていて、それを後ろから引っ張るということは動けなくなるということです。そのことについて最近気が付いて、奥さんにこの話をすると、「私が後ろで引っ張っていたからあなたは力が付いたのよ」という(笑)。

 5坪の店は当初1日3万円の売上げがやっとのことでした。店の表は障子紙を貼っていただけでしたから、雨が降るとベロベロになってしまう。はがれてしまうと障子紙を張り直していたのですが、そこでおもしろいことを書いていました。

 あるとき、お酒の値段を書いていました。当時のビールの大ビンの値段は270円で、中ビンの値段を低くして書こうと思っていたら同じ値段で書いてしまったのです。私は作り直すのが面倒で「しょうがないな」と思っていたところ、「だったら小ビンも同じ価格で書いてしまえ」となり、そして大ビン、中ビン、小ビンも全部同じ270円にしたのです。

 すると、その日の夜からお客さんがズッカンズッカンと入って来るようになり、お客さんが皆こんなことを言うんです。「ビールが大ビン、中ビン、小ビンとも全部同じなのかい?」と。私は「そうだよ」と答えます。そこで「ご来店第1号で小ビンからいきますか?」と言うと、お客さんの全部が「いやいや大ビンにして」という。

 こんな具合に何かのきっかけがあるとお客さんは店に入ってくれる。そして「商売って難しくないんだな」と思いました。

 そんなこともあり、5坪の店は月商180万円まで売れるようになりました。

 当時、アルバイトに来ていた大学生が卒業する頃に、「商売はおもしろいよ」とよく言ったものです。

「トマトは1個30円ぐらいで買ってくるけど、それを冷蔵庫に入れて冷やしただけで150円くらいで売れる。仕入れたものが5倍になるような仕事はないよ」と。

 そして、みんな私の店のスタッフとなって頑張ってくれました。

 スタッフたちはそのうち、「結婚しました」となり、「自分の店を持ちたい」と言います。

 私には店を大きくして組織をつくるという考えはなく、うちで育った子に「自分が自分の仕事で食っていけるということは面白いぞ」ということを見せたいと思っていました。