無印良品はできた当時も特異なPBだった

 西友をルーツとするもう一つの有力企業が「無印良品」の良品計画。無印良品は、1980年、NBに対抗するPBとして開発された商品。ノーブランドで無印、良品は文字通り良い品。有名メーカーの商品でも、「わけあって安い」良い商品がありますという思いを込めて命名された。当時はダイエーをはじめ、各社がNBをベンチマークし、品質は同等で2,3割安いというスタンスで、PBを開発していたが、無印は特異なPBであった。

 無印良品の発案者として主要な役割を務めたのが日本を代表するグラフィックデザイナーの田中一光。堤清二のブレーンで、彼ら外部のクリエイターと堤清二の合作で無印良品の誕生は誕生した。

ロフトはロフトスペースから命名された

 西武百貨店から誕生したのが雑貨専門店の「ロフト」。ロフトはいうまでもなく屋根裏部屋もしくは倉庫・工場などの上層部。東京・渋谷に1号店を開業した1987年当時、若者にロフトスペースが注目されていたことから命名された。

 クラフト、DIY志向の強い「東急ハンズ」とは異なり、若い女性の取り込みを目指し、雑貨のオモシロさを追求、若者に支持されるショップとなった。

 ロフトの生みの親的存在が安森健。西武百貨店のロフトのプロジェクトの責任者から関わり、13年間社長を務めた。ロフトはその後、西武百貨店が2004年にそごうと経営統合し、ミレニアムリテイリングとなった後、2006年、セブン&アイ・ホールディングス傘下になったことで、セブン&アイのグループ企業となっている。

堤清二は辻井喬という文化人でもあった

 堤清二は経営者である他に、辻井喬という詩人・小説家である文化人でもある。そのため、1975年、西武百貨店池袋店に西武美術館(後のセゾン美術館)を設け、当時は百貨店に美術館という取り合わせが話題を呼び、その後、数々の展覧会を開催し注目を集めた。1981年には軽井沢に「セゾン現代美術館」も開館。八ヶ岳に音楽堂も設けるなど、文化活動に力を入れた。

 なお、筆者が在籍していた西友にも文化事業部があり、映画事業などに関わっており、就職活動で文化事業をやりたいので入社を希望するという学生がおり、驚いたことを鮮明に覚えている。

 小説家の安部公房、三島由紀夫、詩人の大岡信、音楽家の武満徹など文化人との交友関係も幅広く、辻井喬として「彷徨の季節の中で」という自伝的な小説をはじめ、多数の著作があり、高見順賞、谷崎潤一郎賞などを受賞。2007年には芸術院会員となり、2012年に文化功労者となるなど大きな足跡を残した。

堤清二「変革の透視図」には本質的な議論がある

 堤清二名義では1985年に出版した「変革の透視図 脱流通産業論」が代表的著作で、今でも読み返すと流通業の在り方を問う本質的な議論がなされている。

 セゾンの文化というより、もう一方でサブカルチャーを担ったのがファッションビルのパルコ(PARCO)だ。イタリア語で「公園」の意味で、「人々が集い、時間と空間を共有し、楽しんだりくつろいだりする場(空間)」を目指し、今でいうモノ消費だけではなく、コト消費の場として機能させようとした。そのルーツは、1957年、池袋ステーションが京都の百貨店丸物の協力を得て開業した「東京丸物」。

パルコは若者のサブカルチャーの情報発信基地

 そしてパルコの名を広く知らしめたのが、1973年にオープンした「渋谷パルコ」。「パルコ劇場(旧・西武劇場)」を備え、広告活動などで、山口はるみ、石岡瑛子といったクリエイターを起用し、若者のサブカルチャーの情報発信基地の役割も果たし、ファッションビルとして一世を風靡した。

 その陣頭指揮にあたったのが清二の東大時代の同級生だった増田通二。長らく経営に携わり、パルコの礎を築いた功労者である。東大時代の同級生人脈は、西友の専務を務めた高丘季昭などもおり、セゾングループの経営に一役買っている。

 現在、パルコは、J.フロント リテイリング傘下となり事業を継続。昨年5月、「パルコヤ上野」をオープン。渋谷パルコは、2016年にビル建て替えのために閉店、2019年秋に開業予定だ。

セゾングループは消滅、その役目を担うのは?

 こうして流通の一時代を築いたセゾングループも、バブルの時代に踊らされ、西洋環境開発の過剰な不動産投資と西友の子会社のノンバンクの融資の失敗が主な原因で、多額な負債を抱えて経営が悪化。1991年には堤清二が経営から離れ、その後グループは解体され、10年後に完全に消滅した。

「生活総合産業」を標榜し、生活に関わるあらゆる領域に事業を拡大して、流通改革を推し進めようとしたセゾングループ。バブルで経営を誤らなければ、さらに新たな展開も見られただろうが、今はイオンがその役目を担おうとしているように感じている。