起業、グローバル展開とアグレッシブな道を歩む

 平渡氏がWhCをベースとした日本と海外を結ぶ事業に情熱を燃やしている背景として平渡氏の沿革を紹介しよう。

 平渡氏は1971年8月生まれで埼玉県出身。21歳の時に大学を休学してカナダに留学した。ここで強烈にインスパイアされたという。

 一つは留学先で世界各国の人と触れ合い、彼らが抱くアグレッシブな野望に感銘を受けた。そこで「自分はこれから彼らと闘っていくのだ」という意識を身に着けた。そこで平渡氏は「30歳で起業する」「世界を相手に仕事をする」ということを決意した。

 大学を卒業後、海外でも事業を展開している医療機器メーカーに入社して営業を担当。その後、商社に転職した。

 そして、1997年1月25歳でベンチャー・リンク(以下、VL)に入社した。当時同社は「起業家輩出」ということをうたっていた。平渡氏が入社してすぐ、VLが急成長するモデルとなったガリバー、レインズ、タスコの支援事業が始まった。この3社はスピード上場を果たし平渡氏はここでFCを学んだ。

 VLを2000年7月に退社。ヘッドハンティングで8月から28歳で雇われ社長となった。同社はアーリーステージの飲食業の本部機能を代行する会社で、2年間社長を務めた。

 そして、2002年10月、30歳で株式会社インターブレインズを創業。業務内容は飲食業に特化したFCのコンサルティングで「ミニVL」と言われた。100物件程度を扱った。いよいよ海外に進出する思いが膨らんだ。

 このタイミングで、FC支援を行っていた居酒屋業態を事業譲受することになった。これをきっかけにインターブレインズはコンサルティング会社から事業会社となった。

 海外1号店はタイ・バンコク。2号店はカナダ・トロントに出店した。そして、上海、台湾、オーストラリアなど海外のさまざまな都市を視察した。海外視察には投資を惜しまなかった。

 しかしながら、2012年10月にインターブレインズが破綻。債務整理を管財人の下で1年6カ月行った。その後、ぐるなびに入社して新規事業を担当した。

 ぐるなびを退社して2016年にJスタイルズを設立。当初はFCコンサルを行っていたが、今年に入りWhCの運営受託をすることになった。

観光業・サービス業が日本経済を牽引する

 平渡氏は、このような起業家の歩みと国際経験から、日本のこれからの飲食業の在り方をこのように想定している。

「Workingholiday Connection」の店頭ロゴ

「私は前職で、アジアの若者をたくさん雇用しました。バングラディッシュ、ネパール、中国、スリランカ、ベトナム、台湾。彼らは居酒屋の従業員として皆とても優秀でした。社内キャンペーンで、売上げの競争をさせると、外国人が店長をしている店が勝つことは稀ではありません。昔は、人手が不足しているから外国人を雇用するという消極的な発想でしたが、私は国籍を問わず優秀な人は優秀だと考えています。だから、意識の高い若者をどんどん引き上げていくべきです」 

 そして、平渡氏が飲食業の実務に復帰した今、「時代が私の考えていた状態に追いついてきた」という。

「現在インバウンドがますます増える傾向にあり、外国人の従業員が増える。外国人の若者は皆優秀です。日本語と英語ができるというレベルではなくて多言語ができる人がたくさんいる」

「とはいえ、私は日本人の若者に頑張ってもらいたい。当社の経営理念が『日本の飲食店を通じて、日本と日本人の素晴らしさを世界に広めていきたい』というものですから、グローバルな戦いに勝っていくことができる日本人の若者を育成していきたい」

商業施設の2階にあり「オリジナルパンケーキ」をアピール

「ワーホリで海外の飲食店でキャリアを積んで日本に帰って来た人たちはものすごく価値の高い人たちです。海外では英語で接客をして、チップをもらうためにスキルを磨いてきています。このように海外経験を持っている人たちをリーダーにして、従業員が目標とできるというロールモデルをつくりたい」

 ワーホリ制度が立ち上がった当初、ワーホリで海外に渡航する人たちは「遊びにいく」というイメージを抱かれがちであった。その背景をひもとくと、当時昭和の日本の主要産業は製造業であり、観光業・サービス業の社会的意義の認識が低かったからだと推察される。そして時代は平成になり、金融業が日本経済を牽引した。さらに、来年から新しい年号となるが、今現実に語られてきているように、観光業・サービス業が日本経済を牽引することになる。

 このように時代の潮流からもワーホリ制度が持つインバウンドとアウトバウンドの機能は日本経済の活性化に大いに役立つ存在として、多方面からますます注目されることであろう。