マイカルの前はニチイという社名だった

 ニチイはマイカル宣言の8年後の1996年、マイカルに社名変更し、小林敏峯が社長を退き会長に、宇都宮浩太郎が社長に就任する。小林は社長の西端行雄の死去に伴い、82年社長となり、以来14年間経営を主導、前述したように革新的な取り組みを行ってきた。

 一方、西端は63年に大阪の衣料品店「セルフハトヤ」と「赤のれん」の岡本商店、卸問屋のエルピス、京都のヤマト小林商店が合併してニチイが発足して以来、19年に渡りトップとして君臨し、その人柄も多くの人に愛され、業界では評判の高い名経営者であった。

 西端はセルフハトヤの経営者、小林はヤマト小林商店といずれもニチイの創業時から経営に参画していたが、両者の経営手法は大きく異なる。西端は、毎日お経をあげるような信心深い人物。

人の心の美しさを商いの道に生かして

ただ一筋にお客様の生活を守り

お客様の生活を豊かにすることを我々の誇りと喜びとして

日々の生活に精進いたします」

という毎朝の朝礼で唱和される「誓いの詞(ことば)」に象徴されているように、求道的な生き方を求め、商人道を追い求めた。こうした理念を大切にしながら、高度成長の時代の流れに乗り、どちらかというと堅実路線で事業を拡大させた。

バブル期にひたすら拡大路線を突き進んだ

 これに対し小林は、バブルという時代背景もあり、事業家としてとしてひたすら拡大路線を突き進み、ワンマン的存在で会社の私物化もささやかれた功罪半ばの経営者。後を継いだ宇都宮も本業が傾く中で過大な投資による巨額な負債を抱え、財テクに走り失敗するなど資金繰りが悪化、マイカルは混迷の度合いを深めていった。

 そして2001年1月、宇都宮が退任し、マイカルの子会社のジャパンメンテナンスの社長を務め、大阪府警本部長などを歴任した警察官僚だった四方修が社長に就任、経営破たんに至るドタバタ劇が繰り広げられることになる。

約1兆6000億円の負債を抱え、経営破たん

 9月には、四方社長とメインバンクの第一勧業銀行(現みずほ銀行)は、イオンを支援先とする会社更生法の適用を考えるが、役員たちが反発、民事再生法による再建を主張し、四方と第一勧業銀行出身の役員は取締役会で解任されてしまう。そして、ウォルマートとの提携を画策していた山下幸三が社長に就き、民事再生法を申請し経営破たんした。

 負債総額は約1兆6000億円と前年に破たんしたそごうの約6900億円を大きく上回る戦後最大の小売業の倒産となった。迷走はその後も続き、山下は2週間後に退任、浦野一雄が社長となり、11月、民事再生法の手続きを中止し、会社更生法により、事業管財人に岡田元也氏が就任、イオンがスポンサーとなって再建の道を歩むことになった。

イオンの完全子会社になり、後にイオンリテールに吸収

 そして、2003年9月、イオンの完全子会社となり、11年3月にはイオンリテールに吸収合併された。

 現在は、サティやマイカルの店舗は「イオン」もしくは「イオンスタイル」となり、ビブレもイオンモールの子会社オーパが運営し営業を続けている。

マルエツプチは元はマイカルのポロロッカだった

 95年に1号店を出店した都市型のミニスーパー「ポロロッカ」は、2001年にマルエツに売却され、変遷を経て「マルエツプチ」として店舗展開が進んでいる。

 ポロロッカは潮の干満によって生じるアマゾン川を逆流する潮流。ニチイ、マイカルの歴史をさかのぼると、マイカル宣言が出された98年を境に逆流現象が起きたように思う。川の流れは大海に向かわず正反対の方向に向かい、結果として水があふれて洪水となり、すなわち経営破たんを招いた。バブルという時代がそうさせたとも言えるが、時代の流れを読んだ戦略でもあった、

 マイカルの経営再建を果たしたイオンは、いたずらな拡大路線を取らずに、いや(取れなかったのかもしれない?)、バブルの負債に悩む同業他社を尻目に、着実に事業を拡げて日本一の小売業になった。

 振り返ればバブルに踊ったマイカルも、逆流する方向は間違っていなかったことは、今を思えば証明される。ひとえに過大な投資が足かせとなって経営破たんして幻となったが、それはイオンをはじめとする企業に受け継がれ、今もなお光彩を放っている。