パリコレクションに長年にわたり参加した著名デザイナーで、衣食住旅に関心が深いなど共通点の多い髙田賢三さんとコシノジュンコさん。親友のお二人に、今号では若い頃の夢とファッションへの思い、読者へのメッセージを語っていただいた。

(聞き手・文/田島由利子)

 

photo/杉田容子
髙田賢三(たかだ けんぞう)

 兵庫県生まれ。1961年文化服装学院デザイン科を卒業し、65年に渡仏。70年パリにブティック「ジャングル・ジャップ」をオープンし、初コレクションを発表。日本人としての感性を駆使した新しい発想のコレクションで世界的な名声を得る。その後ブランドを「KENZO」とし、高い評価を受ける。現在は、「KENZO」ブランドを離れ、クリエーションにおける異業種とのコラボレート事業を展開。その他、世界の伝統文化を継承するための活動をライフワークの一つとしている。

コシノジュンコ

 大阪府生まれ。文化服装学院デザイン科在学中、装苑賞を最年少(19歳)で受賞。東京を拠点に、1978年からパリコレクション初参加。以降北京やニューヨーク、ベトナム、キューバ、ポーランド、ミャンマーなど各地でファッションショーを開催。オペラやミュージカルの舞台衣装やスポーツユニホームのデザイン、インテリアデザインまで幅広く活躍。国内外での受賞、受勲など多数。東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 文化・教育委員会委員。

ファッションの楽しさをたくさんの人に届ける

――文化服装学院(以下、文化)のデザイン科で小池千枝先生(注)から、多大な影響を受けたようですが。

(注)1935年より文化の教職員となるが、結婚し夫の勤務地の北京へ。戦争未亡人となり帰国。45年より文化に復帰し、デザイン科設立のために尽力後、ファッションの本場を見るために渡仏しパリで学ぶ。後の同校学院長。

髙田:戦後の日本女性がお子さんを実家に預け留学、しかもパリ・オートクチュール組合が開校していたサンディカの学校で立体裁断を学んだという類いまれな女性であり一流を経験している方ですから、いつも尊敬のまなざしで見ていました。しかもイヴ・サンローランやカール・ラガーフェルドと同じ教室で学んだというのですから、先生のお話と指先から表現される全てが勉強になりました。

 朝、授業の前に「モーニング・サービス」といって、小池先生が最新のフランスのファッション誌を見せながらモードの情報や、掲載されている服の立体的なシルエットを作るのには、どうしたらよいかを説明してくれる時間があり、僕は毎回楽しみでした。先生自身もすてきで、ファッションへの憧れは増すばかりでした。

コシノ:私も小池先生が事あるごとにパリの話をしてくださったのが、早い時期に海外に目を向ける要因になりました。

 ファッションの本場はパリだから、そこで勝負をしなくてはいけないと78年から2000年までパリコレに参加しました。パリにブティックを出しましたし、住まいも構えました。

 賢三さんがパリにいたので安心感がありました。他にもパリに友達や先生が住んでいて、文化出版局のパリ支局に親しい人がいたので、いろいろと協力してもらえました。

髙田:僕は70年、最初のショップの開店日に、お披露目の意味でショーを行いました。2階のアトリエでメークと着替えをし、1階をランウェーに見立てモデル(友人)が歩きました。そのとき、はやっていた曲を流したのですが、それまでそういうカジュアルなショーはなく、手作り的な感じが新しいと評判に。

 73年からは単独ではなく、サンディカ(パリのファッション組合)がスケジュールを決め合同ショーを開催する、今のコレクションの形のベースが出来上がりました。

 お金持ちや業界人だけでなく、一般の人も巻き込んでショーの楽しさを味わってもらえるようになったのは、そのときからです。それまでファッションは、特別な人を対象にしたものだったのです。

夢をかなえるには努力と勇気が大切

――学生時代、先生や友達に恵まれ希望があって楽しいことばかりだったようですが。

髙田:僕の場合は家族の猛反対を押し切って上京し、実家には世話にならないつもりだったのですが、授業が始まってみるとアルバイトをする時間がなく、月8000円の仕送りをしてもらっていました。

 ジュンコのお母さんは僕たちのことも気に掛けてくれて、大阪から来ると新宿で待ち合わせしてレストランで豚カツやビーフシチューをごちそうしてくれました。

コシノ:母は食べ物を持って私の様子を見に来るのです。母が上京する日は、私のところに仲間が集まって一緒にご飯を食べたりして楽しかったですね。

 私は宿題の裁断や縫製は実家に送って、母の店の縫い子さんにやってもらっていたのですが、装苑賞のときはデザイン画を仕立てるのが間に合わなくて、自分で裁断してミシンで縫いました。普段やらないことを頑張ったのを神様が認めてくれたのか、森英恵先生から高い評価を頂き、念願の装苑賞を獲得。

髙田:僕も森先生の服が好きだった。学校帰りに仲間4人で森先生の「ひよしや」(注・新宿にあった洋装店。ここのアトリエからたくさんの日本映画の衣装が生まれた)に行って、デザイン画を見てもらったりしました。他にも中村乃武夫さん、水野正夫さんら、当時人気のあったデザイナーの先生のところに押し掛け、デザイン画を見ていただいたりしましたが、どの先生も好意的で適切なアドバイスをしてくれました。