NHKで名前の意味や由来を探る「日本人のおなまえっ」という番組が放映されるなど、名前に対する関心は高い。子供に名前を付けるとき、あれこれ考えるのもどういう人間になってほしいというメッセージを込めることも多い。

「名は体を表す」というが、社名や店名には創業者の思い、社会や生活者へのメッセージなどいろいろな意味が込められている。そこで、流通業の企業の「お名前」を取り上げて意外と奥深い世界をのぞいてみようと思う。

 第1回は「ダイエー」。創業者の中内㓛の祖父・中内栄の名前「栄」に、「大」をつけて「大栄」、「大いに栄える」という意味も込められて命名された。

 栄は、高知県矢井賀村(現・中土佐町)の士族の家に生まれ、大阪医学校(現・大阪大学医学部)を卒業後、神戸で眼科医となった。その息子で㓛の父の秀雄はダイエーの前身となったサカエ薬局を創業、㓛がダイエーを設立した際にはダイエー会長職に就任した。

 高知から青雲の志を抱いて大阪に出で眼科医となり、その息子も薬局を自ら立ち上げ、孫はそれを母体としダイエーを創業した。三代に渡って独立・創業精神の血脈が受け継がれており、ダイエーの誕生には㓛の祖父、父の影響が極めて大きく、さらにそこから抜け出て飛躍しようとする強い意志があった。

メーカーや問屋の締め付けを跳ね返し「価格破壊」

 1957年、大阪の千林駅前に「主婦の店ダイエー薬局店」を開業、安売りと牛肉の特売で繁盛店となり、その後は「ダイエー」の店舗を全国に展開。71年には株式上場を果たし、翌年には、三越(現・三越伊勢丹)を抜いて小売業で日本一の売上高を達成した。わずか、15年でトップの座に上り詰め、まさしく大きく栄えたのである。

 原動力となったのが安売りで、1号店に「主婦の店」と冠を付けたように、主婦の味方となって、メーカーや問屋の締め付けを跳ね返して、ダイエーの代名詞ともなった「価格破壊」に突き進んだ。

 69年には松下電器(現・パナソニック)の製品を安売りして出荷停止となり、裁判沙汰になるなどバトルが勃発。翌年にはクラウン製のPB「BUBU」の13型カラーテレビを、当時としては破格の5万9800円で発売して対抗。その後もバトルは続き、両社が和解したのは94年、四半世紀に渡る価格の決定権を巡る小売りとメーカーの戦いは幕を閉じた。

 今ではメーカーが売りたい価格を設定する「メーカー希望小売価格」はすっかり影を潜め、小売りが価格を決めるオープン価格が主流となっており、事実上、価格はメーカーではなく小売りが決めるという中内が描いた世界になっている。

 価格を巡るその戦いはスーパー同士にも及んだ。1969年には、ダイエーが、西友が出店していた東京・赤羽に進出。当時は西のダイエー、東の西友といわれた2強対決となり、し烈な安売り戦争が繰り広げられたのは象徴的な出来事だ。

中内㓛にとって安売りが「トポス」(主題)だった

 消費者のための安売りは中内の哲学であり、ディスカウントストア(DS)業態の開発でさらに突き進む。79年には「ビッグ・エー」の1号店をオープン、ビッグ・エーは「大栄」そのものである。翌年には大型店の「トポス」の展開もスタートした。トポスはギリシャ語で「場所」という意味だが、「主題」という意味でも使われる。中内にとってはDS、すなわち安売りが主題であるのである。92年には会員制のホールセールクラブ的な「Kou’s(コウズ)」開発、コウは言うまでもなく「㓛」を音読みしたもので、中内のこの業態にかける意気込みが感じ取れる。

 しかし、コウズは10年後、トポスも2年前に消滅。今はビッグ・エーが200店舗以上を展開し、中内の遺志を継いで事業を継続している。

 中内はこうして安売りを一枚看板として事業を展開するが、90年代後半から過大な投資、野放図な多角化などで経営が悪化、2004年には産業再生法の適用を受け、丸紅やイオンと連携し再建を目指す。その後は紆余曲折を経て、2013年にはイオンの子会社となった。

 イオンは今年中に「ダイエー」の店名を「イオンスタイル」などに変更したが、旧ダイエーのSM「グルメシティ」を19年度中に「ダイエー」にすることに方針を変え、辛うじてダイエーの店名は残ることになった。

 価格破壊で日本の小売りシーンで一世を風靡し大きな足跡を残した中内㓛のダイエー。「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」。虎は死んだ後もその毛皮が珍重され、偉業を成した人は死後その名を語り継がれる。中内㓛も「ダイエー」とともに、後世に語り継がれるだろう。