「この店は当初苦労しました。それが好転したのは去年の3月ごろから。8時30分より朝ラーメンをスタートしてブレークしました」(宮崎氏)

 東京駅に出店してから、2016年11月京橋、2017年7月名古屋、2017年12月浅草橋と店舗展開を進めた。京橋と名古屋は商業施設内で、浅草橋は路面店で工場としての機能を有して他の店をバックアップする役目を担う他、他の店とのコラボを行うなど実験的なことも行う。一方、麹町にあった2号店を2017年1月に閉店した。

 ビーガンラーメンを提供している店では、ビーガンラーメンを目的としたお客さまが増えているという。

「ただし、私はビーガンで儲けようと思っていない。儲けるための商売は他のラーメンでやっている」(宮崎氏)

 現実的に「ビーガンラーメン」をアピールしても経営が長続きしないところもある。それは食の多様性に応えようという志があっても、十分な売上げが立たないからだ。しかしながら、ビーガンラーメンが存在することで自身の食の禁忌をクリアしてラーメンを食べられる人が確実に存在する。出数こそ少ないながら、ビーガンラーメンを提供し続けることはラーメン市場の裾野を広げることを意味する。宮崎氏はこう語る。

「当社のビーガンを提供している店は、端から見ると極めて面倒なことをやっています。一般的なラーメンのスープ、べジソバのスープ、ビーガンのスープと3種類のスープをつくっていて、限定メニューも加わると4種類になります。このようなやり方は自分にとって決して面倒なことではないし、従業員も学べる環境になっていると思います」

 このように宮崎氏がラーメンに打ち込む姿勢は「ラーメン道」の求道者と言えよう。

 さて、2017年11月30日と12月1日の2日間にわたって大阪でWRGP(ワールドラーメングランプリ)が開催された。これは「一風堂」創業者の河原会長が総合プロデューサーを務める大会で、エントリーは452人で日本国外からも多数あった。宮崎氏はエントリーして、書類審査の結果、ファイナリストとなった。ちなみに、一風堂を展開する力の源では海外13カ国・地域とグローバル化を進めており、ラーメンを日本発祥のフードではなく世界共通のコンテンツとして位置づけている。

昨年のWRGPでチャレンジしている宮崎氏
WRGPで第2位となった宮崎氏のEDO雑煮麺

 同コンテストはファイナイスト16人が生み出したラーメンの創作性を競うというものだが、宮崎氏は「EDO雑煮麺」という雑煮感覚のラーメンで挑み、第2位を獲得した。表彰式のときにマイクを向けられた宮崎氏は「優勝が取れなくて悔しい」ということを素直に声に出していた。この発言は自らの哲学と創作力に自信を持っているからのことであろう。

 宮崎氏の切磋琢磨する姿勢は、ラーメンという形をとりながら日本の食文化の奥深さを世界に発信する力となっている。

 宮崎氏はソラノイロを設立して丸7年が経過、店舗数5、社員13人、アルバイト55人の陣容となっている。これからは会社の規模を大きくしていくスタンスではなく10店舗年商10億円のレベルを維持しながら、海外展開やコンサルティング事業で業容を広げていこうとしている。