スーパーマーケット(SM)の豆腐売場に並ぶ「Non」。Vi Nguyen社のシェアを2位まで引き上げた大ヒット商品だ。

 日本に留学し、長く日本で働いてきたベトナム人がベトナムに戻って豆腐の会社を立ち上げ、日本の製法で作った豆腐をベトナムに普及させている。日越連携のチャレンジングな事業を展開しているのが、豆腐メーカー「Vi Nguyen(ヴィ・グエン)社」だ。

 日本人同様に豆腐を愛し、毎日のように豆腐を食するベトナム人に向けて、同社が発売している豆腐「Non」は、2013年の発売と同時に大ヒットを記録。ベトナム第2位のシェアを誇る豆腐メーカーにまで急成長した。

――ベトナム人の豆腐観を一新したともいわれる「Non」。しかし、「Vi Nguyen社」が2008年に発売した第1号製品「HIYAKO」は全く売れず、最初の1年の販売数は1日わずか50丁程度だった。売上不振が続く中、試行錯誤を経て発売し、同社の窮状を救ったのが「Non」だ。

 いかにして「Non」は生まれ、なぜベトナム人の支持を獲得したのか。時計の針を2007年に戻して、「Vi Nguyen社」の立ち上げ時に目を向けてみよう。

第1号商品の「Hiyako」。生で食べることを前提としていたため、当初は全く売れなかった。
生でも食べられるが加熱してもおいしい「Non」。一石二鳥の商品設計がベトナム人の舌をつかんだ。

 

リニアモーターカーの研究者から豆腐づくりに

 同社を設立したのはカオミンタイさん。高校卒業後、国費留学生として東京工業大学に留学。大学院で博士号を取得した後、東芝に就職し、リニアモーターカーの研究に追われる毎日を送ったという。現在、「Vi Nguyen社」のバイスディレクターを務める息子のカオミンケンさんは言う。

「本当は大学を出た後、ベトナムに戻りたかったそうなのですが、父の出身地は南ベトナム。ベトナム戦争が終わり、南ベトナム自体がなくなってしまったので戻ることができず、日本で就職しました」

 いつかはベトナムに戻り、日本とベトナムの架け橋となって恩返しをしたい。そんな夢をずっと温めていたミンタイさんは10年前に会社を早期退職し、ベトナムに帰国。豆腐の会社を立ち上げた。

 リニアモーターカーの研究者がなぜ豆腐なのか。誰もが抱くであろう疑問に対して、ミンケンさんはこう答える。

「自分の専門を生かすのはベトナムでは難しい。専門以外の分野で自分が何ができるのか。父はずいぶん考えたようです。そんなときに目にしたのが、ベトナムの豆腐には添加物が使用されていて、安全性に問題があると報じた新聞記事でした。ベトナム人は日本人よりも豆腐をよく食べますが、売られている豆腐は決して安全とは言えません。日本の製法で作った豆腐ならビジネスチャンスがあるのではないかと考えたのが起業のきっかけでした。帰国する前に家で豆腐を作ってみたらおいしくできたので、これはいけると思ったようです」

 日本の豆腐は凝固剤としてにがりを使用しているが、ベトナムの豆腐の多くは石膏などを使い、粗悪品も少なくない。95%の豆腐は水に漬けた状態で裸のまま売られている。衛生状態の行き届いた工場で日本の製法を用いて豆腐を作り、パッケージ化して売ればきっと売れるに違いない。

 だが、ミンタイさんその目論見はもろくも崩れ去ることになる。

活路を求めていたとき、チャンスが舞い込んだ

Vi Nguyen社の工場。規模は小さいながら、技術力は高い。ここからヒット商品「Non」が生まれた。

 カオミンタイさんがホーチミンに戻り、小さな工場を設けて豆腐を完成したのは2007年。「冷奴」という名称を付けたかったものの商標の関係でそれがかなわず、「HIYAKO」とネーミングした豆腐は現地在住の日本人には大変人気の豆腐だが、ベトナム人消費者の支持をなかなか得られなかった。

 理由は明快だ。ベトナム人にとって「全く異質の豆腐」だったからだ。ベトナム人は豆腐を生で食べることはない。皆、豆腐の安全性や衛生面に問題があることを知っている。生で食べるとリスクが多いと感じている。

 だから、加熱調理は絶対に欠かせない。厚揚げにして食べるか、鍋に入れて食べるか。主にこの2つの方法で豆腐を食している。そこに「生で食べられます」「冷奴で召し上がってください」という日本の豆腐を打ち出しところで、そもそも食べ方が違うのだから受け入れるはずがなかった。売れ筋の豆腐が50円前後なのに対して、「Hiyako」の価格は約110円(2万5000ドン)。割高感もお客の足を遠ざけた。

「日本人がよく行く日本食レストランには採用してもらえましたが、ベトナムの日本食レストランの数はまだそう多くない。売上全体へのインパクトは限定的でした」(ミンケンさん)。

 ベトナムにおけるジャパンブランドへの信頼がどんなに厚く、安心・安全への評価が高かろうと、異国の新しい食を定着させるのは容易なことではない。ましてベトナム人の舌は保守的だ。財閥企業が君臨し、シェアをほぼ独占している市場も後発の弱小メーカーには極めてハードルが高かった。

 厳しい現実に突き当たり、活路を模索していたカオミンタイさんにあるとき願ってもないチャンスが舞い込んだ。