1948年京都府生まれ。72年京都産業大学法学部法律学科卒業後、アサヒビールに入社。博多工場を出発点に労働組合役員などを経て、CIを作る新設部署の専任スタッフとなる。86年新たに作ってもらった広報企画課の課長。96年新設の経営企画部部長、2000年執行役員グループ経営戦略本部長。戦略企画本部長などを経て、2003年取締役、2010年代表取締役社長、2016年代表取締役会長。10年ごとに目標を立てキャリアを磨いてきた。(Photo/室川イサオ)

時代に即した新しいものをドンドン取り入れる先見性と勇気があり、市場を開拓して今までなかったマーケットをつくり出していく、そんな企業家たちを紹介する連載「革新企業家たち」。第4回はアサヒグループホールディングス(HD)会長の泉谷直木さん。売上高2兆円超、国内外に約3万1000人の社員がいる大企業を率いるトップがたどり着いた「仕事の美学」をじっくりと伺いました。

磨き続けることで光を放つ「いぶし銀」

「経営者として『いぶし銀』の実力をすごく大事にしています。業績が良くて好調だと、ある意味『金』メダルだと思われます。『金』だとキラキラして、皆にチヤホヤされて慢心しちゃう。好調時の最悪の経営リスクって慢心ですからね。経営者自らの慢心でもあるし、組織の慢心でもあるんだけど、これが『いぶし銀』だと、ほっておくと黒ずんじゃって、自分で一生懸命、毎日毎日磨き続けないと駄目。磨き続けることによって光を放てるわけですよ。

 自分たちで自ら磨いて光っているのが『いぶし銀』の実力で、『いぶし銀』の会社であることが慢心を起こさないし、市場が厳しい中においても戦っていける、チャレンジしていけることにつながるんだと思うんですよね」と語るのは、アサヒグループHD会長の泉谷直木さんだ。

 アサヒグループは言わずと知れた、アルコールを中心とした総合飲料食品メーカーで、ビールシェア、時価総額ともにナンバーワン企業である。

工場売却のどん底を味わう

 創業128年。この間、順風満帆だったわけではない。今でこそ華やかな業績だが、一時は日が昇る「朝日」ではなく日が沈む「夕日」ビールとまで言われていた。1970年代~80年代にかけて業績は低迷し生産量は減り続け、シェアは10%を割り込み、ついにはメーカーの生命線でもある工場を売却せざるを得ない状況にまで追い込まれている。どん底である。

 ただ手をこまねいていたわけではない。悪戦苦闘し、企業風土を変え、改革を起こし、味を変え、そしてようやく1986年業績を上昇させることができた。このときに発売したのが、消費者志向に徹したコクとキレをあわせ持つビールである。

 

 86年、のちに伝説の経営者となる樋口康太郎さんが社長に就任し、満を持して87年、「スーパードライ」が登場する。樋口社長の強力なリーダーシップのもと、約6000億円にも上る巨額な設備投資が行われ、これが大きな成功に結び付き、発売3年目に「スーパードライ」は1億ケースを超える爆発的な売れ行きとなる。そして98年、45年ぶりにビールの出荷量年間シェア首位を奪還することになった。

 樋口社長時代の89年に東京・浅草吾妻橋工場跡地は買い戻された。そこに建てられたのが、金色に輝く本部ビルである。隣接するフィリップ・スタルク設計のビヤホールの上に浮かぶ黄金のオブジェが当時話題をさらったものである。

 私は、樋口社長に取材させてもらったことがあり、実はそのときの広報のご担当が現在の泉谷会長である。間近にトップを見てこられたその人が、経営者になったのだ。