今、日本の人口は緩やかに減少している。内閣府によれば2026年に1億2000万人を下回り、30年後の2048年には1億人を割って9913万人となって、2060年には8674万人になると推計されている。これは現在のドイツ(8068万人)並みの水準で、減少傾向自体には大きな問題はないだろう。

 しかし、人口バランスと限界集落の問題は別だ。特に限界集落と目される所では従来のインフラや行政サービス、神社仏閣の維持、伝統行事の継承などが立ち行かなくなる自治体が2040年には、全国で3232ある中で169と予想されている。今回は地方商圏の活性化について少し考えてみたいと思う。

なかなか進まない分散化の現状

 これまで首都圏への人口集中化問題の対案として、国会移転構想や道州制の導入など、過去にいろいろなプランが立ち上がったが、その都度、メリットとデメリットについて論じられてきた。外国系企業から見たアジア拠点としての都市機能「東京」を国際比較してみた場合や、「経済的中心地」と「政治的中心地」を切り離すことで分散型の国土を形成して地方の活性化と、過密状態の首都圏の減量が測れるといった考え方など。なかなか是々非々とは進まないのが現状のようだ。

地方の文化価値を見直す時がきた

 今年は明治維新から150年という区切りの年でもある。明治維新といえば、日本が列強諸国に追い付くために長らく続けていた封建政治を改め、当時急速に発展していた第2次産業革命と呼ばれる先端技術を積極的に取り入れて、驚くほどの速さで対応していった時代。結局、これが国際競争の始まりだったのではなかろうか。

 江戸時代の日本では水稲で約2120種、豆類で約1370種、大根は約280種、キュウリも約170種類もあった。当時は270藩もの地方自治がそれぞれ鎖国のような状態で、相互の交易さえ制約されていた。

 特に作物は土地の気象や土壌にかなり影響を受けるため、多種多彩が本来の姿。現在、米の品種は300程度が存在するものの、上位10種の作付面積が日本全体の約75%になり、有名ブランドの米が全国を席巻している。

 言葉にしてもそうだ。その昔、それぞれの地方に多くの方言が存在していた。それを標準とする「国語」を制定して初等教育で浸透させ、1920年代中頃に登場したラジオ放送によって、標準語が一気に普及していった。

 こうして元来は多様な文化が並存していた日本は100年程度の短期間で、均一な文化が浸透する社会へと変貌していった。

 これは同一製品を流通させる工業社会の発展には重要な要素であったが、明治維新から百数十年が経過した現在の情報社会に転換すると弱点となった。情報の本質とは、相互に相違することに価値が認められるからで、情報の類似、同質化には価値が生れないからだ。

 この転換に日本が出遅れてしまっていることは、30年前に時価評価総額で上位を占めていた日本の2次産業の企業が衰退し、米国の新興の情報企業が上位を独占していることが証明している。

特色を見つけることは「地元愛」をつくること

 東西南北に長く弓なりの形をした日本。日本は南北に長いので、北海道と沖縄では気候が大きく変わる。ロシアや中国など、もとより国土が広い国ならばともかく、日本くらいの国土面積の国で、こうも気候の差がある国はそう多くはない。1年間の平均気温を見ても最も寒い北海道の内陸部と最も暖かい沖縄とでは、実に15℃以上も違う。

 日本は古く(飛鳥時代)から大陸の文化を取り入れながらも、それを自分たちに適したものに改良して、日本独自の文化を創ってきた。

 例えば、大陸から伝わった稲作が日本に広まり、江戸時代頃には米の収穫量が大名の国力を表す独自の文化ができたほど。そして日本の気候や日本人の味覚にあった、さまざまな米や果実の品種改良が今も続いている。

 仏教も日本独自の宗派が多数生まれたし、大陸から伝わった漢字に訓読みを。漢字をもとに「ひらがな」や「カタカナ」をつくった。大陸から伝わった茶を飲む習慣も日本では茶道という文化にまでなった。

 こうして創意工夫を得意としてきた日本人のDNAを活用して、地方特産を見つけ創り上げることは決して不可能なことではない。人は幼少期に体験したことに懐かしさや哀愁を感じるもの。その体験を通じて得た商品や価値観に親しみやすさや愛着が生まれるものだ。それが「地元愛」を育む源泉となり得る。

 地元の歴史や史料を振り返りながら特徴を見つけ出す。その地方の言語、祭事、食文化、産業、自然、歴史とある中で、アプローチに有効な特長を取り出して、磨く。先祖返りではないけども、近代的情報化社会に今、必要なのは地方独自のオリジナリティな文化の創造と撫育なのかも知れない。