工場長の武藤北斗さんは優社長の長男。芝浦工業大学金属工学科を卒業後、築地市場の荷受けに就職してセリ人を目指すという異色の道に進んだ。1975年福岡県生まれ。

 大阪府茨木市の冷凍エビ輸入販売会社「パプアニューギニア海産」が、テレビや雑誌などで取り上げられ注目を集めています。同社は正社員2人、パート従業員16人のこぢんまりとした会社。注目の理由は、革命的ともいえるパート従業員の働き方にあります。

自分の名前が書かれたマグネットで、各自が退勤予定時間を知らせておく。下のシートは休憩時間の「変更表」。1日2回の休憩時間が決められているが、各自自由に変更できる。変更の場合はこの表に記入する。

 パプアニューギニア海産ではパート従業員の出勤日を本人の自由に任せており、事前の連絡も不要。さらに出勤や退勤の時間も、営業時間内ならいつでもオーケーとなっています。つまり、いつどれだけ働くかを本人の都合で決められる上、無断欠勤も自由なのです。

 同社が「フリースケジュール」と呼ぶこの制度は、創業者である武藤優社長の長男で、工場長の武藤北斗さんが考案し、2013年7月に導入しました。パート従業員の仕事は工場での加工作業が大半で、この制度を導入する前の就業規則は、一般の工場と変わらない内容だったといいます。

 無断欠勤が許されるなら、誰も出勤しない状況が度々生じるのではと、誰しも思うでしょう。しかし制度導入から現在までの4年半で、出勤者ゼロの日はわずか1日。その日は武藤さんともう一人の社員とで何とか作業をこなし出荷しました。

 当時はパート従業員が9人と、現在の人員の半数程でした。今は16人に増えたので、誰も出勤しないという事態になる確率は限りなくゼロに近いでしょう。繁忙期には人手が必要だと事前に伝えてあるので、今は欠勤が偶然重なることは考えられないといいます。

石巻で創業、東日本大震災で全てが消失した

 フリースケジュール制度導入のきっかけは東日本大震災でした。

 パプアニューギニア海産は今から30年余り前に宮城県石巻市で創業し、1999年には自社工場を設立。パプアニューギニアの現地生産者から一艘買いした天然エビを、国内の飲食店・小売店などに販売してきました。

 同社が扱う冷凍天然エビには、薬剤を一切使用しません。天然でしかも安全性が高いことからブランドが浸透し、同社の業績も順調に推移していました。ところが2011年3月の大震災で、工場をはじめ、全てが消失したのです。

 一時は事業の継続を断念しましたが、得意先の紹介により、5月には茨木市で工場を再開。しかし東北を離れた企業には行政の支援がなく、二重債務の負債額は1億4000万円に膨れ上がりました。一方で、大震災前に約2億5000万円だった売上高は1億円前後まで減少しました。

 その2年後の2013年には、苦しい時期を支えてくれた当時の工場長が会社を去っていきました。

 それまでは営業と事務を担当していた武藤さんですが、今度は工場も自分で見なければなりません。そこでまず、一人一人のパートさんとじっくり話をすることから始めました。

 ところが一人ずつ長時間話し込み、必要なら同じ人と何度も話すうちに、現場のとんでもない実態が見えてきたのです。

従業員が生きるための職場にしなければ

 それまでの武藤さんは、従業員を管理し規則で縛るのが当たり前だと考えていました。

「その上、当時はパートさんの本音を聞くのが面倒くさかった。聞いたら何かやらないといけないので、本心で聞く気もなかったのです。だから僕のやりたい方向に合う意見ばかりを集めようとして、反対意見を大事にしていなかった」と武藤さん。

 考えを180度変えてパート従業員と会話を重ねるうちに、彼女たちの重い口から徐々に本音が語られ始めました。そして武藤さんは初めて工場の実態を知ることに。

「そこではパート従業員同士の嘘や争いごとが蔓延していました。お互いが憎しみ合っているのではないかとさえ感じられる状況だったのです」

 そうした中で武藤さんは「誰も僕のことを信用していないし、誰も会社のことを好きではない」という現実にも直面しました。

 今の職場で、従業員の人たちは生きていない。生かされていないのだと武藤さんは強く感じました。「従業員が生きるための職場」にしなければという思いが強く湧きあがったのはそのときです。

「僕は築地の荷受けをはじめ、いろんな仕事をしてきました。それらを振り返って、自分がどんなだったら働きやすかったのかを考えてみたのです。また、自分の奥さんがパートさんだったらどうだろうかとも。やはり、いつ働けるかよりもいつ休めるかが大事で、気兼ねなく休める会社ならすごくいいだろうなと」

 2013年7月に、決められた勤務時間を守れば出勤曜日はいつでもいいし、事前連絡なしで欠勤や出勤ができるという新制度をまず取り入れました。友人や顧客など多くの人に反対されながらの決行です。ただし、当初は「週に3、4日は出勤する」という条件を設定しました。つまり曜日の固定だけを外してスタートしたのです。

 その後、支障なく工場が回っているので、「月に14日前後出勤」と条件を緩めました。しかしその後、誰が何日来ようとも工場の稼働に支障がないことが分かり、最終的に出勤日数の枠も撤廃しました。