「第86回 商業界ゼミナール」の開催が迫ってきた。

 同ゼミナールは600人を超える商人が集い、3日間の寝食をともにしながら、計20を超える講座に触れ、交流し、語り、学び合ういわば「商人の大勉強会」。本ゼミナールを企画し、運営に当たる運営委員と呼ばれる人々もまたこのゼミナールで学んできた「商人」である。本シリーズでは運営委員の皆さまに「商業界ゼミナールで得たもの」「商業界精神が教えてくれたこと」をテーマに語ってもらう。

 今回は運営委員長である原田政照氏。MHホールディングスを経営し、弁当・惣菜専門店「むすんでひらいて」はじめ200店舗以上をチェーン展開する。原田氏が現在に至るまでの「商業界」との関わりとは。

惣菜店「むすんでひらいて」第1号店。商業界ゼミナールを教えてくれた三角商事(ロヂャース経営)の三角勝信社長の誘いから誕生した。

(前半はこちら)

 1988年11月にロヂャース苅田店にオープンした惣菜店「むすんでひらいて」第1号店は初日から大繁盛でした。ロヂャース(現ルミエール)の集客力はものすごく、むすんでひらいてにも開店と同時にお客さまが押し寄せました。

 ロヂャースはディスカウントストアだったし、われわれも素人でおいしいものはつくれなかった。そこで、ご飯もおかずも目いっぱい詰め込み、「この値段だったら許してやろう」とお客さまに思われるような低価格に設定したのです。ただし荒利益が少ないので経営は楽ではありませんでした。取引業者には何度も支払いを待ってもらったり、従業員の給料を払うために、ロヂャースに頼んで一日早く売上金を支払ってもらったこともありました。

 一方で、ロヂャース以外の取引先からもテナント出店の依頼がくるようになり、惣菜店だけでなくファストフード店も出店するようになり、91年から93年にかけては長木と羽根木(共に福岡・行橋市)に惣菜とコンビニ、椎田(福岡・築上郡)に惣菜とうどん店の独立店舗も出店しましたが、うまくいかず数年で閉店するはめになりました。

 またラーメン店を引き継いだことがきっかけで何店舗かテナントを出しましたが、これもうまくいかなかった。会社を創業したものの、あれもこれもと手を出して試行錯誤する日々が続いていたのです。

 売上げも利益も伸びず悩み抜いていた95年4月、迷いの中で犯した最大の失敗が、給食弁当のFC(フランチャイズチェーン)への加入でした。弁当配達は市役所食堂時代に経験しており、FCのチラシやブランド力をうまく使えば、大々的に事業展開できるかもしれないと考えたのです。

 給食弁当も食堂や惣菜店の片手間で弁当をつくるのと業態的に大した違いはないと思っていたのですが、実際にはものすごく大きな差がありました。2台だった車は配達用の車として5台へと増やし、受注・配送用の人員も増やさなければなりませんでした。食器洗浄機などの高額設備も必要でした。こうした投資を行っても、すぐ注文が増えるわけではありません。あっという間に赤字が膨れ上がって、実家のお茶屋名義で借りた500万円が1カ月で尽きました。

 一番大変だったのは、資金繰りです。会社の創業前にも金策に困っていましたが、創業後の資金繰りは金額規模が全然違いました。大幅に増えていた従業員への給料や取引先への支払い、銀行の借金も返さなければなりません。

「会社に金がないから給料を払えん。すまん」では通りません。倒産したら多くの関係者に迷惑をかけてしまいます。会社の経営者が味わう恐ろしい苦悩を初めて経験したのです。

 結局、1年数カ月後に私はFCをやめることを決意しました。相当額の赤字を残したまま撤退するのは苦渋の決断でしたが、どうしようもなかった。このときの大失敗は自分を戒める苦い体験として今も心に残っています。

頑固で不器用な経営を決意 惣菜中心のテナント展開へ

ロヂャース苅田店に出店した「むすんでひらいて」の売場。ボリューム感と安さを打ち出し、商品を並べるそばから売れていく繁盛を見せた。

 給食弁当FCの失敗もあって、会社は96年、97年と売上げダウンが続きました。さまざまな対策に取り組んだもののうまくいかず、落ち込んでいたときのことです。ロヂャース宮田店が2倍に増床して生鮮売場をつくるので惣菜を担当しないかという誘いがありました。

 ロヂャースは97年には11店舗、年商100億円を超える規模になっており、店舗も大型化しつつあった。宮田店はもともと集客力のある店でしたが、増床すればその時点で傘下最大規模店となります。私はありがたく誘いを受け、ロヂャースの有力店にふさわしい惣菜をつくるべく、商品づくりに力を入れました。

 97年10月に新装開店したロヂャース宮田店は大盛況。むすんでひらいての惣菜も飛ぶように売れ、どん底だった私の心にも光が差し込んだ。さらに翌98年にオープンすることになったロヂャース椎田店にもむすんでひらいてを出店できることになったのです。