「ミライザカ」の看板料理「清流若どりモモ一本 グローブ焼きガーリック」999円(税抜き)、写真は客席で店舗従業員が切り分けたもの。

夜の繁華街を歩いて “最近、和民の看板を見なくなってきたよなぁ” と感じた方は観察力が鋭いか、よほどの居酒屋好きであろう。その通り、ワタミは主力ブランドの「和民」「坐・和民」を「ミライザカ」ヘ、もう1つの主力ブランド「わたみん家」を「鳥メロ」への転換を図っている。

「ミライザカ」は、若鶏の唐揚げを看板料理に据えて、女性を意識した内外装に刷新したワタミの新ブランド。2017年度上期(2017年9月末、以下同)で84店舗。6カ月間に、実に45店舗の転換を図り、増店した。

「和民」「坐・和民」を大量閉店して、新たなブランド「ミライザカ」に再起をかける。

 一方の「和民」「坐・和民」は半年間に店数を48店舗減少させて154店舗に。東京都に限れば「和民」「坐・和民」が43店舗、「ミライザカ」42店舗と拮抗する勢力になり、現時点では逆転しているはずだ。

 もう1つの「鳥メロ」は104店舗。2017年9月末までの6カ月間に「わたみん家」を中心に53店舗の転換を果たした。「わたみん家」(42店舗に縮小)で使用していた炭火の焼き台を再利用して、焼き鳥を中心とした鳥料理の業態に特化させている。

 一部では、イメージの悪化した「ワタミ隠し」ではないのかと指摘されているが、本質は、そこにはない。居酒屋チェーンの就労問題については、近々に問題提起したい。 で、今日の議題は『「総合居酒屋」は本当にダメな業態なのか?』である。

総合業態の苦境は流通業界も同じ

 流通も外食も「総合業態」が苦境に立たされている。「総合スーパー」。チェーンストア理論で言うところの「日本型スーパーストア」の不振は言うまでもない。食品、衣料、住居関連が何でもそろう店。1970年代から1980年代にかけて、ダイエー、イトーヨーカ堂、ジャスコ(現イオン)が、日本中に展開した旧来型の店舗である。食品以外は、ドラッグストアやニトリ、ユニクロ、しまむら、ABCマートといった専門大店にシェアを奪われ、その存在意義を失おうとしている。

 翻って外食市場における「総合居酒屋」。「何でもあるけど、何を食べても普通、わざわざ行く価値があるのか」と多くのメディアで冷遇されている。替わって、焼き鳥や串カツ、海鮮焼き、餃子などに特化した、個性のある居酒屋に注目が集まる。そして実際に市場を拡げている。

 確かに、近代的な居酒屋をけん引してきた総合居酒屋チェーン、すなわち、和民、白木屋、庄や、甘太郎などは、近年は精彩を欠いている。替わって、鳥貴族(焼き鳥)、串カツ田中、磯丸水産(海鮮焼き)、肉汁餃子製作所ダンダダン酒場など、専門性の高い居酒屋チェーン(ブランド)が台頭している。

「総合居酒屋」を時代遅れと断定する興味深い言説を紹介したい。前述した「ミライザカ」のウェブサイトからの引用である。

「総合居酒屋は、なぜ魅力を失ってしまったのか? それは端的に言うと、時代のニーズにそぐわなくなってしまったからに他なりません」

と明確に否定した後、

「総合居酒屋の良いところは、お客さまの食べたいものが何でも揃い、席数が多く大人数の宴会ニーズにも応えられることでした」

と、昔はそれなりの機能があったとし、

「大衆酒場=気軽で安くて美味しいつまみがあり、一人でもふらっと立ち寄れる店。NEO=こだわりの専門料理の柱がある。女性も入れるようなちょっとお洒落な空間。場を楽しませてくれる若くてフレンドリーなスタッフ。このNEO感と大衆酒場が融合したところにこそ、時代のニーズがあると考えます」

と、結論づけるが、あぶはち取らずになっていて、狙いが絞り込まれていないと感じる。

「旧来型の集客モデル」が時代に即していない

 ワタミが定義する「総合居酒屋」とは、何でもそろい、席数が多く、宴会需要に応えられる店としている。そのニーズが、今は時代遅れだと切り捨てている。私は、この言説に対して、少し違う見方をしている。「総合居酒屋」がダメなのではなくて、「旧来型の集客モデル」が時代に即していないのではないかと。

少し歴史をさかのぼりたい。

「総合居酒屋」が生まれた時代背景

 1973年3月、札幌市西区の琴似に「つぼ八」がオープンした。後に近代的な居酒屋チェーンとして全国に出店した「つぼ八」の創業店である。

 このわずか8坪の小さな居酒屋「つぼ八」は、すぐさま大繁盛店となり、そのノウハウをベースに札幌に店数を増やしていく。1978年にFC展開、1982年に商社と組んで東京に進出し、全国展開に着手する。

 創業者の石井誠二氏に聞いた1号店の営業内容は、炉端焼き中心の「均一価格」、当日売り切りの「鮮度の良さ」、食材が残ると半額にして、希望者に「じゃんけん」をさせて競わせる「楽しさ」も売りの1つであった。元は機転の利く店主が経営する生業店であったのだ。

 それを全国展開する際に収益性の高い業態にフルモデルチェンジした。つまり、創業者の石井誠二氏が札幌で展開していたお店とは全く別物の業態にしたのである。