1926年生まれ。43年大阪貿易学校卒。44年太平洋戦争従軍。45年に復員後、清水商店設立。56年清水実業(現・ライフコーポレーション)設立。82年株式上場を機に、会長に就任。99年、スーパーマーケットの団体である「日本スーパーマーケット協会」を設立、初代会長に就任。現在再登板となる日本チェーンストア協会の会長のほか20以上の団体にて公職を務める。(Photo/山田ヒロシ)

 今から30年以上前、大平正芳総理のときに、一般消費税の導入の話が出た。あのとき、僕は日本チェーンストア協会の総務委員長で、税制の委員長を兼ねていた。ある日、大蔵省の主税局長と筆頭審議官から連絡があって、大平総理のやろうとする一般消費税について説明をしたいということで、僕が担当として話を聞いた。そのときは首席審議官が来られて、2時間くらい話をした。どうしても国家財政の視点から税収が必要なので一般消費税という案が出たので、ご協力願いたいという説明が縷々あった。

僕は「また戦争をやるんですか」と言った

 元々、フランスで第一次世界大戦のときに始まった税収。アメリカでは州税でやっている、いわゆる付加価値税。僕は審議官に「あなたは戦争を知っているか」と聞いた。すると、「僕は海軍にいた」と。しかも、「海軍経理学校を卒業して正規の将校だ」と。

 そこで、僕は「そうですか。また戦争をやるんですか」と言った。その返答は「いや、そんなことはない。戦争のための税金ではない」だった。だから、「だけどね、結局そうなりますよ。そうでなければこんな新しい大きな、しかも税率は他の国よりも高い。だから、これは賛成いたしかねます」と、僕は言った。

 主席審議官は時計を見て、後の会議があるので、今日はここまでと言うので、じゃあ今度は僕が行きますからと伝えて、その日は終わった。

 それから半月くらい経って、僕が主税局に行った。そのときは主税局長もおられて一緒に話をした。いろいろな話があったが、要するに、これは余程、気を付けないと、国民の害だから大反対運動が出るし、僕は危ないからもう少し慎重に考えた方がいいんじゃないかということで別れた。

「なかなか向こうはうまいんだ」

 それからえらく信用されたのか、「具体的な話をもう少しさせていただきたいから、大体、月に2回くらい会えないか」という話が来た。「それは構いませんよ。お伺いしますよ」と、それで主税局に行って話をするようになった。

 長い話だから夕方の5時半くらいになると、「今日はここまでにしておこう」と。主税局には酒やウイスキーはいっぱいある。つまみを売店で買ってきて、話をした。段々、精神的には共有したり、打ち解けてきたりして、いろいろな話をするようになった。

 そうするうちに、「こういう案が出た。やる、やらないは別にして、事務的にやる場合は一番日本にとってどういうものがやりやすい、ふさわしいか。国民も業界も協力できる、そういう仮定を立てて、やる、やらないの議論ではなくて、もし日本がどうしてもやる場合は世界各国の付加価値税の中でこういうものがいいというものを一緒に研究、勉強させてくれ」と言ってきた。なかなか向こうはうまいんだ。

法制化するという段階で、ちょうど選挙になった

 世界各国で、付加価値税をやっているのは当時、40カ国か50カ国近く。税率の問題やいろいろなシステムについての情報を主税局は各国の大公使館から集めて持っている。チームを作って検討会をするというので、間接税の事務的な研究会という仮称で、約10人が集まった。三越の常務や新日鉄の経理担当の常務、僕や税制に明るい大学の教授などで月に1回勉強会をした。

 その後、一般消費税をやるという方向で自民党が税制調査会でまとめて、それを法制化するという作業を始めた。

 すると、ちょうど選挙になった。「へたをすると大事になるから、どういうふうにやったらいいか」というので、「選挙でやるかやらないかを国民に問うたら絶対つぶされる。だから出し方は余程、気を付けないと難しい」と言っていたが、新聞や雑誌やニュースに一般消費税をやるというのが出て、選挙となった。

 大平さんが総理や総裁として地方遊説でどこに行ってもこれが争点になった。これで選挙をしたら自民党は負けるということで、自民党の国会議員の120人くらいが反対だと。こっちもいろいろ手を尽くして集めたわけだけど、あるとき、大平さんが選挙民から言われて、「いろいろ検討しているけれど、相当反対しているのを承知しているから、場合によってはちょっと差し控えます」ということをぺろっと言った。そうしたら、断念と新聞に出て、結局、諦めた。