香港在住の日本人が経営する東洋警備は創立33年の老舗警備会社。主に法人向けの警備を請け負い、これまで香港に駐在した数多の日本人駐在員がその世話になった。経営は既に2代目の岩見龍馬さんに移行。海外進出を果たしても短期間で撤退する日本企業や邦人が多い中、親子2代に渡り、地域に根を下ろした経営を続けている。

きっかけは柔道。柔道館を開業し、地元警察などに教えていた

「元々は警備会社よりも、柔道館を開いた方が先だったんです」

全ての始まりは、柔道だった。

 照れながら話すのは、隣接する「香港柔道館」も併せて取り仕切る龍馬さん。なるほど、柔道館の開館は1966年。今年は開館51年を迎える。

 先代は大学時代にレスリングでオリンピック出場を目指した格闘家で、柔道も高校時代から嗜みがあった。香港との縁は、政治家を目指した大学時代に研修で訪れたのがきっかけ。

 当時は「華やかりし植民地時代」で、「ここに一度住んでみたい」と雰囲気にほれて移住を決めた。それが1961年のこと。柔道館を開業し、地元警察などに柔道を教えに行ったことが東洋警備につながった。

続けられたのは「地域の人に助けられ、受け入れてもらえたから」

「好きなことをやってたことが仕事につながりました。当時は競争相手もいなかったし、日本文化の普及が目的の滞在ということで、ビザも柔道で取れました」

 もちろん、外国での孤軍奮闘の現実は甘くなく、

「がむしゃらに何でもやった時期もあった」という。

 それでも日本に帰らずに続けられたのは

「地域の人に助けられ、受け入れてもらえたから」だ。

 これは口で言うほどやさしくない。香港をはじめアジアの人々は日本人をそんなに簡単には信用しない。特に経済的格差が大きかった2000年代以前は、日本人はマネーを落としていく「上客」であっても、仲間として受け入れる対象ではなかった。

 現在でも、例えば日本企業の海外支社のオフィスには、本社から派遣されてきた日本人駐在員と「ローカルスタッフ」と呼ばれる現地人との間には、給与・待遇面、文化・習慣面でともに溝があるのが普通だ。

 もちろん企業文化や個人の資質にもよるだろうが、戦争の記憶も今よりも濃かった1900年代半ば、現地の人からの信頼を得るのは並大抵のことではなかったろう。何よりも、何の後ろ立てもない青年がたった一人で異国で生きていくのがどれだけ困難か、想像がつく。

困っている在住邦人・企業を見かねて警備会社を開業

 その後は現地女性と結婚し、伴侶の家族の助けも得ながら柔道館を運営していった。龍馬さんは香港・日本のハーフになる。香港で生まれ育ち、日本とアメリカの大学に進学した。語学は日中英語ともに堪能だが、語学だけで海外事業が展開できるわけではないと話す。

「一番大切なのは『信頼』を得ることです。警備会社も信頼が命。安全を提供する、人のためになる仕事だと思ってやっています」

 世界の中では比較的安全な都市とはいえ、香港も多様な人々が行き来する国際都市だけに、日本に比べればやはり治安は悪い。開業はそうした状況に困っている在住邦人や企業を見かねてのことだったという。地元警察との長年のつながりが助けになり、ライセンスを取得。1984年に東洋警備が始まった。現在でも従業員の一部は警察出身者という。「安全を守る、人のための仕事」という使命感に共鳴した人々が集まってきているようだ。

「人との信頼」はコスト削減にもつながっている。香港はニューヨークと並ぶ世界でも不動産価格の高い地域で、スペースの必要な商売は家賃コストが大きな負担だ。柔道館は香港でも有数の繁華街・銅鑼湾の地下鉄駅の真上に位置する。「おそらく世界一」と笑う高額なテナント料金を支払っているが、それも大家との信頼関係が助けになっているという。

土地を利用する気持ちで進出しても、誰も付いてきてくれない

「これは香港に限りませんが、例えば不動産を購入して転売して儲けてやろうとか、何かその土地を利用するような気持ちで進出してもね、誰も付いてきませんよ。周囲の人、地元の人はその人の覚悟を感じますから。先代の場合は『もう日本には帰らない』という覚悟があった。周囲の人も『この柔道の先生はずっと自分たちといてくれる』と感じたから、受け入れたのでしょう」

 2代目の龍馬さんは他社での会社員生活なども経て2006年に東洋警備に入社。先代の経営方針を踏襲しながらも、冷静な視点も併せ持つ。

「警備会社という仕事自体は誰でもできる仕事です。ただ、うちの場合は長くやってたことでお客さんや関係者の方々との信頼関係が築けている。長く経営して得られる一番の財産は『つながり』ですね」

 当面は事業拡大よりも、人のため、安全のためという初心を忘れずに事業を展開していきたいと笑った。