あくまでも経営という視点で見て、今回のコロナ騒ぎはいくつかの「教訓」を教えてくれる。その1つは、何よりもさまざまな意味での中国への過度な依存を考え直せ、ということである。まず「売る」ということからいえば、中国への出店(例えばチェーン)、中国への輸出(例えば車、家電)、あるいはインバウンド客への過大な期待、である。特に中国観光客への過度な依存は、再考すべきではないか。ましてドラッグストア店舗が、化粧品薬品その他の商品の「爆買い」を期待することは、カスタマーを対象にすべき流通業の本筋から離れている、というべきである。

 逆に中国から「買うあるいは仕入れる・調達する」、という視点からいえば、さまざまな製造部品や商品が、過度に中国に依存していたことが、分かってきた。トイレットペーパー売り切れ騒ぎが、それを象徴している。実際は中国からの調達に全く依存していない産品まで、多くの国民が、心理的には「中国から仕入れている」と思い込んでいた。

 それは例えば飲料水を、公共施設に緊急時に備えて備蓄されているはずだと考えて、自宅での備蓄を怠る、のに似ている。もちろん自宅に備蓄するより、公共施設に期待する方が、コストは安く済む。中国への過度な依存の原因も、そのコストの安さにある。コストの安いところに発注するのは、経済的に当然である。ビジネス・チャンスのあるところに出店するのも、当然である。

 だがその対象が中国の場合、改めて、1.これまでSARSなど中国発の多くの重大な感染症がある(何か原因があるはずだ)、2.しかもその中国が国際機関への影響力を深め、事実上中国の代弁者に仕立てている以上、信頼するに足りないこと、すなわち世界的に、お金でその「独裁型」を押し付けようとしていること(少なくとも知的著作権についてトランプの方法は、微温的だったオバマより正しい)、その著しい例がWHOの事務局長の振る舞いである、3.中国があらゆる点で独裁国家であること(例えば、強制封鎖もできるし、情報言論統制もできるし、尖閣列島へ軍艦を出すこともできる)、などを認識した上で、付き合うべきだ(私が、中国への出店にはチャンスと同時に大きなリスクもある、と指摘したのは数年前である)、ということである。断っておくが、これは「中国人」非難ではない。同じ中国人でも独裁政権でない台湾は、この「騒ぎ」にも見事に対処している。

 政府の入国封鎖が「後手」に回ったのも、政局担当者が優柔不断だったのも、これらの「中国」の売る・買うの影響の大きさを考えて、躊躇したからである(ただしオリンピック開催の可能性が危なくなってきているのは、中国とも日本の振る舞いとも、関係がない、むしろ強いていえばWHOの決断の遅さが原因である)。

 その2つは、ネットの無責任と実店舗の意味の見直しである。ネットでは、マスクの転売は禁止されて止まったが、法に触れない消毒殺菌液や消毒濡れティッシュの高値販売はいまも依然として横行している。これは実店舗では、起こり得ないことである。なぜなら仮に実店舗がマスクや消毒殺菌液を5倍の価格で売ったら、その時は売れたとしても、後々までその店舗の悪名はお客の印象に残り、お客から拒否され、カスタマーは離れるだろう。

 それは実店舗は、文句を言う相手、責任者が、人間の形で実在する、からである。高値で売ったら、客は文句を言え、店には文句を受ける人間がいるからである。だがネットでは、どのネットも、不思議なことに、文句を言う道を作っておらず、「容易に返品できる」、という口実を設けているだけである。つまりここで端なくも明らかになったのは、ネットの本質である。

 それはネットは、ただ「売る」だけの、そうすることで手数料を取る「販路」、すなわち無機的・機械的な「パイプ」でしかない、という事実である。ネットは単に「便利に買える手段」にすぎない。である以上、その「責任」をうんぬんしても意味がない。ネットは、仮に高値売りという暴挙に加担したと、その「責任」を問われても、ウチは仲介しただけだから、何を・いくらで売るかはもっぱら「売り手」の問題であり、それでも買うのはもっぱら自由意志を持って買うと決めた「買い手」の問題だから、とその責任を「売り手」と「買い手」に、見事に転嫁することは確実だからである。

 そのことはさらに、そのネットに大いに脅威を感じ、事実上店舗を「倉庫あるいは配送所」にする「店舗ピックアップ」を採用した「チェーン」の本質も映し出す。それは自らの店舗が、無機的・機械的な、「ただ売るだけ」のネットと同じパイプ、販路をモデルにしたものだ、ということの意識せざる告白だからである。

 だから、ネットに対抗する「実店舗」とは、「ドキドキしながら買物できる」だの、「陳列やレイアウトが変わっている」だの、「人間が感じられる」だの、という曖昧な・ムード的なことではなく、実店舗がネットを超えているのは、何よりも「単なる買物客ではなく、カスタマーが存在し」(爆買いに来る中国人観光客はカスタマーではない)、店舗はそのカスタマーへの、「信用を担保し続けるところ」であり、「責任の拠点」であることにおいて、なのである。

 その点で銘記すべきは米国パブリックスである。何の騒ぎも起きていなかった昨年冬、パブリックスは店頭に、プッシュ式殺菌液のみならず、殺菌ぬれティッシュ・ボックスを配備していた。それでカートの握り手を拭くことも図示していた。手を消毒してもその手で、誰が触ったか知れないカートを握れば、元の木阿弥である。それを察してパブリックスは、殺菌ぬれティッシュを店頭に配備したのである。殺菌液は定位置でしか利用できないが、ぬれティッシュならば何枚かとって、店内でも再利用できる。高齢者が多いいかにもパブリックスらしい、カスタマーへの配慮だった。これは日本のスーパーマーケットでも、実行できるなら実行すべきだ(箱ごと盗むやつがいるのに注意)。

 その3つは、この騒ぎで改めて明らかになったことは、「仕事」というものは、ネット利用によるリモート・ワーク可能な仕事と、リモート不可能な仕事に、区分できるということである。とすれば、区分できる仕事は、これからも区分すべきである。今回の騒ぎでリモート・ワークは、いわば窮余の一策として採用された。だがそこで分かったことは、リモートでやって何ら支障がない仕事は、今後感染騒ぎが終わってもリモートでやるべきではないか、ということである。

 もちろん実店舗の売場が主要な流通業は、その採用度は低くならざるを得ない。だがその流通業においても、今回リモートでできると分かったことがあるはずである。だとすればその「仕事」は、騒ぎが終わった後もリモートですべきではないか。というのも、これまでリモートでできるにもかかわらず、リモートを採用せず、会社に行って顔を見せることが重視されていたのは、1つにはそのことに気付かなかったからであるが、2つには結果主義といいながら、「仕事をする」ことではなく、「出社すること・顔を見せること」が暗々裏に、「会社・仕事・上司・同僚への忠誠度」として、暗々裡に重視される風潮があったからだ、と見直すチャンスなのではないか。

島田陽介先生のメールアドレス:shimad@msb.biglobe.ne.jp

※本稿は島田陽介先生のアドレスにアクセスした方に「今月の提言」の形で送っているものの加筆訂正版です。