「デマンド」は、お客から生まれるものではない。なぜなら仮に多数のお客が、例えばテレビCMであるナショナル・ブランドが世に存在することを知り、それを手に入れたいと望んでいたとしても、近所に売っている店がなければ、買うことはできないからだ。

 先日の米国総まとめセミナーでも指摘したが、お客が「自動車」を買いたいと望むようになったのは、ヘンリー・フォードが、自動車を作る工場で働く労働者でも買える値段のフォードT型を作り・売った、その結果であって、ある所得層の「大衆」が増えたから、では決してない。

 フォードの使嗾に応じて、T型を買い・使うことによって、彼らは「大衆」になったのである。そもそも「大衆」というコトバが普及したのは、マルクシズムとファシズムが人々を扇動して「大衆」と名乗らせ、運動に誘導するためである。車はとにかく、多くの「商品」は、それがあることを知ったとしても、近所に売っている店があって、人々がそれを見ること・買うことが可能であって初めて、それを望むものが増え、買うものが増え、使うものが増え、結果として「大量消費」が生まれる。

 今日でも統計、特にビッグデータを「駆使」して、かくかくしかじか消費者が望んだから、ある消費が生まれた、ともっともらしく指摘するのは、発想は貧困でも、後付けの説明とプレゼンテーション技術だけは巧みな、マーケティング屋の特技でしかない。

 ほとんどの場合、聴衆の記憶に残るのは、データではなく、データから導き出された「結論」と「もっともらしい説明」だけである。ほとんどの人が、データなど、聞いた端から、忘れる。元々、結論が先にあり、データはそれを説明するために、探され、堤出されたのだから、それは当然の結果だが(彼らは、私のようにデータをほとんど用いず、専ら論理のみで説得する愚行は犯さない)。

「カスタマー」は、企業が創造するものであって、「自然発生的に・自らの創意」で生まれることなど、金輪際あり得ない。米国に学んで生まれた「画一売店チェーン業態流通業」の誕生は、その意味で、製造業や卸業も、小売業も、お客も、根底から変えた「構造変革」であった。それは単なる「品揃え」の変化でも、「売り方」の変化でも、「買い方」の変化でもなかった。

「ネット」は、私が指摘するように、その本質は「全国マーケティング」されたナショナル・ブランドを売るという意味で、「画一売店チェーン業態流通業」とその本質は全く同じである。だがその影響は、かつての「業態流通業チェーン」の出現に勝るとも劣らない。少なくともそれは、単に買物が便利になった、多様な品揃えから選べるようになった、という比較級の「変化」ではない。かつて「業態流通業チェーン」は、「業種小売業」より、比較級で、買物を便利にし、品揃えを多様化しただけではない。それと同じである。

 とすれば、いわゆる「実店舗」は、店舗を活かすとか、店舗ピックアップを促すとか、店舗内での買物をより便利にするとか、そういった姑息な対応を急ぐ前に、まず「ネット」が突き付ける「構造的問題」を、真剣に考えることから始めなければならない。

 かつて業種小売業が、業態流通業チェーンの出現に対して取った手は、1つは反対運動、2つは広い意味での「販促強化」でしかなかった。「販促活動」とは、接客を、店舗売場の改装を、商店街の催しを、試みることだった。それはほとんど効果が無かった。だがそれが今、ネット対策として巷間で論じられている愚策といかに似ているか。

 画一売店チェーン流通業は、ナショナル・ブランドを売ることを除けば、何から何まで業種小売業と本質の違ったものであるのに、この変化を単に「売り方の変化」だとカン違いしたのである。それは肝心の「小売業であることの本質」は何も変えない、ということであった。かつての業種小売業のカンちがいは、画一売店チェーン流通業の構造的本質を見損なっていたコトから生じた。

 翻ってウォルマートの「対策」を見よ。ウォルマートが「店舗ピックアップ」という手を取ったのは、全米にくまなく既に店舗網を張り巡らしてしまった以上、そのチェーン網をいまさら急につぶすわけにはいかない、しばらくは、いささかでもそれを活かす手を打つしかない、と考えたからである。それはそう分かった上での「苦肉の策」だったのである。

 その証拠に、ウォルマートは以後店舗出店をストップし、積極的にネットに取り組んでいる。白紙で事態に臨める外国(例えばインド進出)では、店舗チェーンによる進出は取りやめ、全てネットによる進出に切り替えている。ウォルマートは、事の本質をしっかりわきまえ、その上で既に店舗ネットワークを張り巡らしてしまったという特殊事情のある米国では、店舗ピックアップというネット対策を自覚して利用しているのである。

 繰り返すが、全国マーケティングされたナショナル・ブランドを売る、という点では、ネットも既存の「画一売店チェーン」と全く「同じ」である。だがそのコスト構造に目を転じれば、事態は全く異なる。ネットと店舗では、あらゆるコスト構造が、従って事情が異なる。ネットの方が断然ロー・コストなのである。

 とすれば今、論じなければならないのは、そして論議の突破口になるのは、実は既に実行に移されつつある「スーパーマーケット・チェーンのネット戦略」である。アマゾンがいわばタブーともいえる実店舗チェーンのホールフーズ・マーケットを買収したのも、ネット制覇の次は「店舗」だ、と考えたからではない。何せ事実上自動販売機の店舗による実現という退化(アマゾン・ゴーという愚行)を、あえて実行する企業である、アマゾンにもそう錯覚しているものはいるだろうが。

 だがスーパーマーケットは違う。スーパーマーケット・チェーン(おそらくいわゆるコンビニも)は、店舗とネットの活用という、新テーマと取り組む必要がある。ただこれも「米国総まとめセミナー」で指摘したが、米国と日本は重要な事情が異なる。米国ではウォルマートもスーパーマーケット・チェーンも、日本のセブン-イレブン型出店ができる。だが日本ではスーパーマーケットといえども、それはできない。日本では「店舗」は、米国ほどネットとの複合活用に向いていない。この事情の違いがどんな影響をもたらすか、私は既に4年前その著書『流通業の選択』で、その問題を指摘した。

 そこでは、これまでは日本ではスーパーマーケットよりも商圏の広いビッグストアが、店舗とネットの複合活用に取り組んだため、そして「採算」を先行させるため、結果としてこれまでの店舗商圏を超えた広域商圏、すなわちわが社の店舗の存在しないエリアをカバーし、他社の店舗の商圏を侵略するための手段になってしまう可能性が高い、と指摘した。だがその指摘を裏返せば、元々「面出店」ではなく「点出店」の日本のチェーンにとって、ネットはその点と点の間を埋めて面にする、絶好の手段だとも考えられる。セブン-イレブンのような例外を除けば、スーパーマーケットでさえ点出店しかできなかった日本において、ネットは初めてチェーンが「面出店」を実現する可能性を提供していることになる。ここに本当の「戦略テーマ」の1つがあると思われる。

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島田陽介先生のメールアドレス:shimad@msb.biglobe.ne.jp

※本稿は島田陽介先生のアドレスにアクセスした方に「今月の提言」の形で送っているものの加筆訂正版です。