毎年2月に開催される商業界ゼミナール(写真は2019年開催の風景)

 2020年2月25日、『商業界ゼミナール』が開催される。さまざまな業種、業態、世代の商人500人以上が集い、2泊3日間、学び、語り合う。国内最大規模のセミナーであると同時にその内容も特徴的。第1回(1951年)の開催から、年2回の開催も含め70年近く88回目の開催を迎えるまでになった商人の“大勉強会”。なぜこれほどまでに多くの商人を引き付け続けるのか。

 日本の敗戦により、国土は荒廃し、街にはまだ砲火の残り火が立ち込めていた頃、若き商人たちは、国民の消費生活に欠くことのできない物資を探し求めて全国を渡り歩く日々が続いていました。「店」とは名ばかりの焼け跡に建てられた手づくりの小屋に、ようやくかき集めてきた物品を並べて、これを代価に換えることから商売が始まったのです。

「商業界」創立者である倉本長治主幹(1899-1982)

 後に商業界創立者となる男、倉本長治はそういう時代から日本を駆け巡って、闇取引の根絶を叫び、今こそ商人が将来の社会的信用確保のために立つべきときだと説いて歩いていました。

 雪深い北国ではゴム長靴を借りて、一軒また一軒と店主と懇談して歩いたそうです。「先の見えない暗い環境でも、(倉本)主幹の話だけには闇がなかった」と当時を知る商人は言います。

 しかし、それは苦しい困難の道でした。あの当時は、各地の市役所も商工会議所も、商店の常道化などを顧みる余裕がなかったし、そういう運動のための費用も持っていませんでした。

 一宿一飯だけという条件でも、今後の商人の在り方を説く会合は体よく拒否されて、倉本はさびれた乗り換えの小さな駅で空しく一夜を明かすことさえもありました。その挙句の果てはGHQによる公職追放という処分で報いられたものでしたが、それでも経営問題の遊説は禁止事項ではなかったので、倉本はその後も全国を隅々まで観察し、教導し、日本の商店の再建に努めたのでした。

 その情熱に動かされた友人たちが倉本不在の中、雑誌『商業界』を発刊し、倉本の追放解除とともに一切の事業を倉本に引き渡すという友情が商業界誕生の真実です。その後も一円の蓄えもない倉本の啓蒙講演は続きました。そして、1951年2月に箱根で行われたのが『第1回商業界ゼミナール』。参加者は全国から集まった130人ほどの商人たち。今日「商業界エルダー」と呼ばれる人たちの中には、その頃の同友が多いのです。

 こうして始まった商業界ゼミナールは、日本の革新的商人の歳時記的行事となり、1年のけじめの一つとなり、そしてまた毎年必ず繰り返して参加する結集点となりました。

 その後、日本の社会環境も、流通業界も激しく移り変わりを見せ、幾つもの大企業も登場するようになり、国民生活への存在感を増すほどの成長発展を遂げるようになりましたが、商業界ゼミナールは草創期の思想を今も内に秘めながら、時代を先駆けする商業者にも、地域に奉仕する商業者にも、企業規模、業種業態、そして世代を超えて、等しく強烈な拠りどころとなっています。そして、2020年2月、第88回目となる商業界ゼミナールにも革新的であろうとする多くの商人が集うのです。

第88回の『商業界ゼミナール』について知りたい方はhttps://www.shogyokai.co.jp/sseminar_2020/ から!