ひょんなことから、福岡の明太子メーカー「ふくや」の川原武浩社長にインタビューさせていただいた。私のメールを勘違いした友人が、面識のある川原社長のフェイスブックに「(大相撲の)九州場所を取材できずに困ってるライターを助けて下さい」とメッセージすると、「出来る限り協力します」と見ず知らずの私のために返信を下さったのだ。

 そこで思い出すのは2019年1月に公開された、「ふくや」創業者の川原俊夫氏を描いた映画「めんたいぴりり」。飢えに苦しんだ壮絶な戦争体験から“食で人を幸せにする”という信念で博多に食糧品店を開いて明太子を苦労して開発するも、その製法を惜しげもなく周囲の店に教え、共に発展しようとした。その信念は創業者の孫でふくや社長の5代目が引き継ぎ、今も変わらぬことを身を持って知ったわけだが、実は「ふくや」は営業利益の2割も社会貢献活動に充てる、CSR度が非常に高い会社だ。川原社長にお礼を述べ、まずはその話から伺った。

創業者は“世の中の役に立つ生き方をしなきゃいかん”と会社を作った

 

「現在はスポーツ関連への支援が少し多くなっています。地元J2リーグのアビスパ福岡や、北九州出身の主にダブルスで活躍する卓球の早田ひな選手とか、以前はフィギュアスケーターの南里康晴選手にも。トップの選手には大手スポンサーがつきますから、ふくやでは3~4番手の選手を応援することが多いです。私の父(現相談役)が社長時代の1994年に作った『網の目コミュニケーション室』という部署を通じて相談が寄せられますが、この部署ができた当時は珍しく、変な会社だと思われたでしょうね。しかし、創業者は“世の中の役に立つ生き方をしなきゃいかん”と会社を作ったわけですから、社会貢献は会社をやる目的でもあります」

 川原社長が小学3年生まで祖父である創業者の俊夫氏は存命で、「中洲の町内会や博多祇園山笠の用事だったり、いろいろな会合に飛び回ってる姿を見ていました」と、祖父の影響は大きい。地域のために尽くす後ろ姿を見て育ち、社会貢献することは当り前のことだった。

 実際に支援の方法としてはチケットやパンフレットへの広告を含めた金銭的支援の他、人的支援も行い、イベントや行事の準備や参加、運営事務局参画などもあるという。スポーツだけでなく、福祉施設への支援や文化芸術振興もある。

「例えば、『九州戯曲賞』というローカルな演劇関係の賞にもスポンサーとして立ち上げ時から協力しています」

 実は川原社長、高校時代から演劇部に所属して今も劇団を率いる。自ら文化芸術に身を置くことで、より親身できめ細かい支援ができるのだろう。

「現在、財団を作る計画をしています。会社の利益から活動費をねん出して営利事業と一緒にやっていると、良い時と悪い時でムラが出てしまいます。それで継続性を考えて財団を作って安定的にやっていければ、と考えています」

 支援は主に福岡県内での地域貢献の比重が大きい。博多祇園山笠やどんたくといった地元の祭りをはじめ、廃止する方向だった「福岡サンパレス」(複合施設)の運営を受託したことは大きい。

「私は第三期ぐらいからの建て直しのために経営に行き、二代目のサンパレス社長です。元々は財団法人が運営をしていて、末期の頃は民間でいえば1億5千万~2億ぐらいの赤字が続いていました。しかし、廃止すると福岡の街からコンサートホールがなくなってしまうので、それではいかんだろうと、うちが運営をお引き受けしました」

 経営改革としてはまず、“マルチタスク”での働き方を実践した。例えば、調理人は調理だけやるのではなく、隣接する仕事もやることで効率を上げる。また、コンサートホールだけでなく、ホテルであることを積極的にPRした。

「ホールのお客さんにアンケートを採ったらホテルがあることを知らない人が多く、愕然としたんですね。実際に利益を出しているのはホテルの方なのに。そこで『福岡サンパレス ホテル&ホール』という名称に変え、イベンターさんにはその名称で呼んでいただくようにしました」

「魔法のような技はない」という川原社長の地道なやり方から、今ではトラックドライバーや外国の船員といった人たちも多く利用する。「安売りしようという方向に行くより、ターゲットを変えて伸ばす」という考え方で、港に近く、中心地から外れて駐車場が広い利を生かしてアピールしていったのだ。