WHO is 中川政七? その答えは商業施設にある。「中川政七商店」は2010年11月、京都のファッションビル「ラクエ四条烏丸」に1号店をオープン。それ以降ショッピングモールや駅ビルなどに出店、全国に急速に店舗網を拡大、現在41店舗を展開する工芸をベースにした生活雑貨店だ。デベロッパーからの出店依頼も多く、今月1日開業した「渋谷スクランブルスクエア」には旗艦店を設けている。

300年続く商いのDNA

 そのルーツは300年余り前にさかのぼる。1716年、「奈良晒」の黄金期に初代 中屋喜兵衛がその商いを始めたのが、中川政七商店の始まり。そのDNAは脈々と今に受け継がれている。ここでは今までたどってきた道筋を振り返ることで中川政七の正体を明らかにしていく。

 中川政七商店の歴史は決して順風満帆ではなかった。時代の変遷に伴う幾つかの危機を、座して死を待つのではなく、その時々に新たなことに果敢にチャレンジし、乗り越えて今がある。

 最初の危機は江戸時代後期。越後や近江といった他産地の勢いが増し、奈良更紗の生産量は往時の10分の1ほどに低下。さらに、明治維新により武士が消滅したことで最大の得意先を失い、奈良晒の衰退は決定的なものとなった。

 しかし、この難局に立ち向かったのが9代目の中川政七。当時の品質を守り続け、風呂上がりの汗取りや産着などを開発し、新しい市場を切り開き、汗取りは皇室御用達の栄誉を受けるまでになった。

 しかし、奈良晒の製造自体は衰退し続け、いったんは廃業寸前にまで追い込まれるまでに。そこで、10代目の中川政七は1912年、奈良晒の自社工場を持つことで製造卸に転換した。

 この時代、都市における手工業として再出発した奈良晒は、農家の婦女子の農閑期の家内労働だった。そこに目を付け、機場を奈良の月ヶ瀬・田原・福住に、晒工場を京都の木津川に設け、市場から消え去ろうとしていた奈良晒の復興に尽力。自らの事業の継続につなげた。

 川下から川上にさかのぼることで危機を脱し、1925年にはフランスのパリで開催された万国博覧会に手編み・手織りの逸品の麻のハンカチーフを出展して評価を得る。

 戦後も変遷を重ねる。高度成長期に突入し、人件費やつくり手の高齢化などの問題により、手仕事での奈良晒の製造は難しくなり、製造卸業から撤退するか、国内での生産体制を機械化するかの選択を迫られることになった。

 1953年、11代目の中川巖吉はどちらの道も選ばず、「手仕事から生まれる独特な風合いを守る」ことに決め、生産拠点を人件費の安い韓国、そして中国へと移し、昔ながらの製法を守った。

 そして20年後の1973年、12代目の中川巌雄は麻の茶巾づくりを突破口にして茶道具業界へ参入する。職人が発注から納品まで1年近くかけオーダーメイドでつくっていた抹茶を入れる茶入れを保護するための袋「仕覆(しふく)」に着目。アパレル的発想で、仕様書をつくり内職で仕上げる製造方法を生み出した。

 早くて安く、ていねいな仕覆は評判となり、卸先が一気に増え、以降、麻を使用したものを中心に、茶道具関連の取扱商品を増やしていく。

 そしていよいよ、1985年、小売りを手掛けるようになる。本社の移転に伴い、空いた仕事場で麻小物の販売を開始。「遊 中川」の始まりだ。

 奈良県から出展依頼を受け、1988年に開催された「ならシルクロード博」では、麻素材の正倉院柄のタペストリーや名物裂を販売し、手績み・手織りの手仕事に注目が集まった。これをきっかけに、「遊 中川」のものづくりが本格化。今でいうSPA (製造小売り)の取り組みだ。

 2001年には、東京・恵比寿にアンテナショップを設け、色鮮やかな麻生地を使った雑貨を製作。今も人気の小紋柄「小花」はこの時に生まれ、客層が若年層に広がった。

 13代目の中川淳(現・中川政七)は、ものづくりの想いを「正しく伝える」ためには、自分たちで直接お客さまに届けなくてはならないと考え、直営店出店を加速。SPA業態を確立していく。

 2003年には「粋更kisara」を東京デザイナーズウィークで発表。06年には「表参道ヒルズ」にフラッグシップをオープンし、さらに同社のものづくりを広く知ってもらうきっかけとした。

 2007年には「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを掲げ、その決意表明として『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり。』を出版。伝統工芸をベースにしたSPA業態の仕組みを明らかにし、産地の企業向けに業界特化型コンサルティングもスタート。ロングセラー商品であった「花ふきん」がグッドデザイン賞金賞を受賞したのもこの頃だ。

 2010年には「暮らすように働く」をコンセプトにしたユニークな新社屋が奈良市東九条町に完成し、JCDデザインアワードやグッドデザイン賞など数々の賞を受賞する。

 そして、「中川政七商店」の展開を開始。前述のように、11月には京都・ラクエ四条烏丸に1号店を出店した。日本の土産物を扱う「日本市」も同時にスタートした。

 2011年には、自社の新作展示会をコンサルティング先のパートナー企業との合同展示会へ変え、名称も「大日本市」に。また、奈良県は靴下の生産量日本一であることから、日本で靴下を生産、くつしたブランド「2&9」も立ち上げた

 2013年にはJR東京駅前の商業施設「KITTE」に、初めての大型店となる「中川政七商店 東京本店」を設け、6つ目のブランドとなるハンカチブランド「motta」も登場。

 2016年には創業300周年を迎え、事業として日本各地の産地の工芸と人との出会い、学び、体験を通じて土地の魅力を再発見する「大日本市博覧会」を東京、岩手・長崎、新潟、奈良で開催。累計7万3千人が訪れ、成功裏に終了させた。

 こうして、小売事業に進出して以来、産地や作り手と連携し、次々と新たな取り組みを多面的に展開することで、日本の工芸の再生に寄与し、中川政七商店自身の発展にもつなげてきた。

14代目は中川家以外の人間に

 13代目の中川政七は工芸業界で初めてSPA業態を確立したわけだが、オンリーワンの強みをいかんなく発揮し、店舗網を全国に拡大。そのノウハウを生かして2009年より業界特化型の経営コンサルティングも開始。工芸のメーカーや工房の経営再建を手掛けて多くの実績を残してきた。

 現在の中川政七商店を形作ってきたのが13代目の中川政七で、2002年に入社した時は年商4億円足らずだった生活雑貨部門を年商50億円まで急成長させた立役者である。

 社長に就任してから10年目の2018年3月、働き盛りの40代で社長を退き、14代に経営を託す。新たな時代の始まりである。

 中川政七商店は創業より代々、中川家が家業として経営を担ってきたが、中川は以前から「中川家以外の人間に継いでもらう」と公言していた。バトンはその通り、千石あやに引き継がれ、中川は会長となり、コンサルティングおよび奈良のまちづくりに専念することになり、14代目の仙石社長はSPA事業をさらに発展させる役割を担うことになった。

 早速、今年4月には台湾政府より日本と同様、工芸の衰退を食い止めるための協力要請を受け、政府機関の「台湾デザインセンター」と協働。台湾における工芸コンサルティングプロジェクトを始動させることに着手した。

 海外初の経営コンサルティング、流通プラットフォームづくりに取り組んでいくが、これが軌道に乗れば、現地での店舗展開にもつながり、台湾に限らず海外事業が大きく発展していく可能性もある。

 

SPA事業を拡大し、100億円企業を目指す

 ところで、新社長は1976年生まれで、大学を卒業後、大手印刷会社でデザイナー、制作ディレクターとして勤務し、2011年、中川政七商店に入社。小売課スーパーバイザー、生産管理課、社長秘書、商品企画課課長、「mino」のコンサルティングアシスタント、「遊 中川」ブランドマネージャー、ブランドマネジメント室室長などさまざまな仕事に従事してきた。

 中川が新社長に求めたのは「人望」と「バランス感覚」。 社長に限らず人の上に立つ人は人望がなきゃいけない、そして店舗も社員もどんどん増えて企業規模が大きくなり、バランス感覚が重要だと考えた結果、選ばれたのが千石だった。

 入社8年目の本人にとっては思いもしなかったことだったが、覚悟を決めて社長就任を承諾。

 千石は「われわれには『日本の工芸を元気にする!』というビジョンがあります。何のために仕事をするのか、そのためにはビジョンが大事だということを先代から学びました。企業として利益を追求していくことは大前提ですが、それより上位概念として位置付けて、日本の工芸の衰退を食い止めるために、これからもモノづくりをフォローし、共にいいもので売れる商品を作り、それを販売する出口の役割を果たしていきます」と、決意を新たにしている。

 そして、今後はSPA事業を拡大し100億円企業を目指す。コンサルティング事業は教育メソッドを整備し、システマチックに展開。工芸再生請負人から、地域の産業観光まで手を広げて地域の活性化にも取り組んでいく。

 これらが実現できたとき、新たなステージに到達し、今までとは異なる景色が見えてくる。そしてさらなる変遷を経て中川政七商店は変わっていくだろう。

 その前に、出口としての機能をさらに強化するためには、店舗の大型化が欠かせないと考え、今までは50坪が最大だったが、今回の旗艦店の「渋谷店」は130坪と一気に2.6倍まで広げた。

 店舗コンセプトは、”日本の工芸の入口“。産地からするとショップは出口だが、生活者にとっては入口であるという意味で、この店で工芸に触れ、その魅力を実感してもらい、工芸の世界に入ってきてもらう狙いがある。

 店づくりは創業の地である奈良の町並みをイメージ。新作はもちろん定番商品もフルラインアップで、全国800以上の作り手とともに生み出した約4000点の商品をそろえた。

 そして、誰が、どうやって、どのように、どれほどの時間をかけて作っているか。そしてそれにはどのような歴史の積み重ねがあるのか。こうしたモノづくりの背景にある物語を見て、読んで、食べて、触って感じてもらえる新しいスタイルのショップに仕上げた。