ウォルマートがアマゾンに脅威を感じるのは、納得できる。なぜならウォルマートは自らが、ナショナルブランドとそのイミテーション廉価版のピービーの、エブリシングの「販路」であることを、十分に自覚しているからだ。だとすれば、店舗無し・店舗在庫・店舗要員・管理コストなど全てゼロで、その上、無限の商品分野をカバーするエブリシング・ストアのアマゾンの「物販」に、脅威を感じるのは、当然である。

 だがそのウォルマートの脅威意識が、逆にアマゾンに錯覚をもたらしたのではないか、というのが私の疑いである。錯覚とは、アマゾンが自らを「物販」ビジネスだと考えてしまったこと、である。私見によれば、アマゾンの本業は、最近の業績でも明らかであり、例えば成毛真氏の著書『Amazon』他でも夙に指摘されているように、AWSという圧倒的シェアを誇るクラウド・ビジネスであり、ロジスティックス・ビジネスである。「物販」ではない。AWSの話は今はさておく。

 私がアマゾンの本業を、ロジスティックス・ビジネスだという根拠を示そう。既に人口に膾炙しているアマゾン創業のエピソードは、こうである。アマゾンはなぜ創業の時、書籍から始めたか。米国の場合、書籍にはA版しかない。しかも圧倒的多数の書籍はA5(週刊誌の大きさ)からA7に集中している。それは包装材料を徹底的に規格化できる、ということである。包装資材が規格化できるということが、ロジスティックスに圧倒的に有利であることは、例えば、そのブツをトラックの荷台に積んだとき、を考えてみればすぐ分かる。荷台にムダな隙間が生じない、のである。

 同じことは、ブツをラックに積んだときも当てはまる。ここにあるのは、「書籍」という「商品」ではなく、ブツを運ぶ・動かす、という徹底的に「物販」と異なる発想である。それは「物販」ではなく、ネットと「ロジスティックス」を優位に置いた発想である。

 だとすればアマゾンは、意識したか・しなかったか知らないが(私は、アマゾンに限らず、「創業の秘話」そのものには、全く興味がない)、創業当時から、そのビジネスの本質は、「物販」ではなく「ロジスティックス」にあった、といい得る。にもかかわらずなぜアマゾンは、いつの間に自らを「物販」ビジネスだと考えるようになってしまったのか。それは例えば、ウォルマートの逆影響、意識過剰だと考えるしかない。

 なぜそれを「逆影響」だというか。創業当時のように「ロジスティックス上有利で、なおかつネット通販に適したブツなら、何でも扱う」という基本戦略を超えて、今、アマゾンは「商品なら全て扱う」という方向に向かっているとしか思えないからである。その典型的例が、ホールフーズ・マーケットの買収である。

 アマゾンは、なぜホールフーズを買収したか。いうまでもなく食品のネット通販に参入するためである。なぜ「食品」なのか。なぜロジスティックスという視点で見て、まだ扱っていないが、扱って有利という商品から侵略しないのか。そう考えると、アマゾンはいつの間にか知らず知らずに、「ロジスティックス上有利なブツなら何でも扱う」という基本戦略から、「商品なら何でも扱う」、そして「売上げの大きい商品なら何でも扱う」というウォルマートまがいの戦略に転換した、すり替わった、といわざるを得ない。

 ロジスティックス上、最も困難な「食品」になぜ手を出すか。既に「食品」は、多くのスーパーマーケット・チェーンがネット通販を実行し、店舗ネットワークがあって初めて、ラスト・ワンマイルのコストをカバーでき、なおかつ即日配達という客のニーズに応え得る、ということが証明されているにもかかわらず、である。アマゾンに改めてスーパーマーケットを始める、どんな意味ある理由があるか。ロジスティックスという視点から考えたら、全く、ない。意味があるのは、「物販」と考えたときだけである。

 だが、今、アマゾンが犯している? 自らのビジネスを「ロジスティックス」ではなく「物販」と考えてしまった錯覚は、これにとどまらない。それは、「無人店舗」と称するアマゾン・ゴーに象徴される。

 もちろんアマゾン・ゴーは、決して「無人店舗」などではない。それは単に売場だけ無人化したにすぎない「無人売場」でしかない。いやもっと正確にいうと、「過大にコストの(特に商品補充の)かかる無人売場」でしかない。それはサプライ要員以外人件費がかからない自販機(それは総合的にいえば画一売店チェーンであるが、実は個々の販売機はそれぞれ品揃えが異なる個店経営である)にも劣る。米国では自販機に治安上の問題があるとしても、である。もしアマゾンが、創業時そうであったパッケージ素材の規格化・単純化というロジスティックス・ビジネスという視点を失わなかったら、これほどの愚行にのめり込むことはなかったのではないか。ちなみにもちろん、日本のJR東日本がトライしている、人々が「無人店舗」と錯覚している売店も、同様に過大な補充コストを抱えた「無人売場」であって、決して「無人店舗」などではない。

 カン違いしてはならない。重要なのは、絵になるからという手前勝手な理由で(もちろんそれぞれに手前勝手でいいのだが)、ジャーナリズムがもてはやす「売場の無人化」などではなく、従ってそのためのカメラ他の機器の動員コストでもなく、まず出店コストであり、「無人補充コスト」であり、「店舗在庫コスト」の方である。そのことを示唆するのは、他ならぬアマゾンがウォルマートを震駭させた戦略利点に他ならない。それは、ロジスティックスという視点で考えなければ出てこない発想である。

 アマゾンに限らず、人々がなぜこのようなトリックにだまされてしまうのか。それはロジスティックスあるいは無人化を、コストダウンとお客の便利、という既存の視点で捉えてしまうからである。確かに有人売場より無人売場の方が(機器コストの点ではまだしではあっても)コストダウンである。お客も便利だろう(ちなみに登場当時のスーパーマーケットが支持されたのは、そのワンストップ・ショッピングの便利以上に、セルフサービスという便利さからだった。そしてセルフサービスの快適とは、接客の無意味、「おもてなし接客」という幻想への、有力な反証になる)。

 だが同時にあくまで「店舗」にこだわるこのアマゾンの無人売場の、コストダウンとお客の便利さとは、既存の「販路」ビジネスである画一売店チェーン店舗と、「程度の差」しかない。アマゾンがネットにおいて導入したのは、それらを真っ向から否定した、構造的・戦略的視点だったはずである。ネットの画期的意味は、店舗よりコストダウンと便利さの点で、「程度の差」を超え「次元の差」を創造したことにあった、のではなかったか。

 こう考えると、アマゾンの「物販」前のめりを、最も歓迎しているのは、ウォルマートではないか、と思えてくる。なぜならウォルマートは、ネットに敏感であることが示すように、店舗という大問題を抱えてはいるが、同時に他方でネット以前から、ロジスティックスを徹底的に重視してきた企業だからである。私が以前の提言で皮肉った「店舗ピックアップ」も、ロジスティックスの視点でいえば、お客が自ら来店する店舗を買物の場にすると同時に、お客の自ら来店による商品ピックアップ・ステーションとしての利用、という巧妙な複合利用であるともいえる。

 

島田陽介先生のメールアドレス:shimad@msb.biglobe.ne.jp

※本稿は島田陽介先生のアドレスにアクセスした方に「今月の提言」の形で送っているものの加筆訂正版です。