1943年横浜生まれ。3000坪の敷地の暖炉のある洋館で育つが家業が破たん。赤貧の中、栄光学園から上智大学経済学部へ進学し、アルバイトをしながら卒業する。大日本印刷などを経て、1970年日本ケンタッキー・フライド・チキン1号店の店長となり、会社を育て上げて半年後に取締役、1984年に3代目の社長となる。2003年ジェーシー・コムサ代表取締役CEO。2003年藍綬褒章、2014年旭日中綬章受章。(photo/室川イサオ)

今までなかったマーケットをつくり出して社会に提示していく、そんな革新企業家たちを取り上げるこの連載。大河原毅さん(日本ケンタッキー・フライド・チキン元社長、ジェーシー・コムサ代表取締役CEO)に登場いただいた第1回、前編の「時代の読み方、注目していること」に続き、今回は「大切にしたいこと、理想的な会社」について聞いた。

30年前から観光農園を経営

 

 たくさんの事業を起こす中、大河原さんがことのほか思い入れが強いのが北海道八雲町の農場「ハーベスター・八雲」(http://harvester-yakumo.com/)である。

「僕はこの農場を30年前に作ったんだけど、その頃はまだ観光農園という時代じゃなかった。キタキツネ一匹しか現れなかったところに、去年は84万人もの人が『これぞ北海道』っていう景色を見に行くんですよ。そこでは当然、現地で採れた本物のトウモロコシやジャガ芋だとかを食べたいわけ。皮をむいてヒゲをとって食べるというのを実体験してSNSで発信することをやりに行く。そうすると値段は二の次になるんです」

 

 今や、インスタグラムやフェイスブックに掲載するための写真映えすることが最大の価値になる時代だ。SNSに投稿するための出費を惜しまない人たちがいる。

 

 5600坪の養鶏実験農場として始めたこの「ハーベスター八雲」は、レストランが中核となっている。

「ハーブ鶏 発祥の地」として認められ、そのハーブ鶏のフライドチキンや、石窯で焼き上げる本格的なピッツァなど、どのメニューを見ても北海道が息づいている。

 周辺の契約農家から毎朝届く、採れたて野菜を載せて作る「新鮮野菜のピッツァ」「八雲産豚のスペアリブ」「エスニックチキン」など、どれも魅力的で食べてみたい。

日本の農家を守る

 契約農家の方たちには、それぞれの土地や水に合う、種類の違うさまざまな野菜を作ってもらっている。「その方が、市場で買い叩かれることもない」と、経営者としての知見と、農家の方たちの伝統的手法を融合させていく。

 

 また、通常は破棄されてしまう形の良くない野菜も安く買い取ってサラダにする。さらには、農家の方たちに、「『ハーベスター八雲』に来たお客さんに販売していいですよ」と野菜市場を開くことを勧めたら、だんだん「野菜市場」そのものが有名になってしまったとか。スーパーマーケットより安い新鮮なものが手に入ると地元の方たちからも人気である。

 ケンタッキー・フライド・チキンの創業者カーネル・サンダースが1930年代にアメリカのケンタッキー州に作った自然のままの農場に憧れて、鶏を放し飼いにしたくて作った「ハーベスター八雲」。最初、300羽のヒヨコを放したらいつの間にかハーブをついばみ始めたと言う。「鶏がハーブを食べると余計な皮下脂肪や匂いがとれるというのが分かり、パテントをとりました。健康的なので、海外産がいくら価格が安くても切り替えることはしません」

 日本ケンタッキー・フライド・チキン時代もアメリカからの圧力に負けず、ずっと国産の生の鶏を使い続けた気骨の人でもある。

「もしも価格が安いからと輸入物に切り替えてしまったら、今まで買っていた日本の農家のおじいちゃん、おばあちゃんが全部失業するわけですよ。一度断ってしまったら、もう再生産はききませんから」

 そのために欠品するというリスクもあるが、「もし、売り切れちゃったらゴメンナサイですが、おかげさまで売上げはいいです。お客さんは食べてみると分かるから、信じてくれる」

 日本を愛し、日本の原風景を大切に守り育む、その大河原さんの心意気の象徴が「ハーベスター八雲」なのである。