最初に断っておくが、私の専門は、「商業」でも「流通業」でも「繁盛店」でも「老舗」でも、そして「商店街」でもなく、チェーンストアである。従ってチェーンより、単独店が圧倒的に多い「商店街」の問題は、専門外である。

 だがそう断った上で、提言したいことがある。そう考えたきっかけは、読売新聞18年1月13日号朝刊に、「市街地活性化 過大な計画」という大きな記事が掲載されたことにある。記事の趣旨は、全国109の都市が、策定した「中心市街地活性化基本計画」の目標達成率が3割にとどまり、問題視されている、というものである。

 この「市街地活性化基本計画」は、実は都市計画法、大規模小売店舗立地法と並ぶ、「まちづくり3法」の1つである。その趣旨は一言でいえば、一方でチェーンなどの大規模流通業の出店を規制し、他方で市街地中心部の「商店街」を復興させよう、というところにある。

 一時「曲学阿世」(私は、このコトバを用いたことで編集者に注意されたが、今改めてその間違いでなかったことを痛感している)の新しもの好きの学者たちが、確か英国の事例を(例によって例のごとき学者特有の外国引用による権威付け)持ち出して「コンパクト・シティ」と言い出したのも、この「まちづくり3法」への悪ノリであった。

 私はそれが提案された当初、いまだ海のものとも山のものとも分からないときに、1人それに反対した。車が普及し郊外住宅地が発展しているときに、コンパクト・シティなどという学者とお役人の作文と、それに乗った政治家の策動で、その動きが止められるはずもなく、うまくいくとはとても思えなかったからである。果たして?コンパクト・シティの失敗は短時日に明らかになり、もはや死語となった。

 私は先見の明を誇っているのではない。こんなことに「先見の明」など要らない。「常識」さえあれば十分である。だが藁をもすがる思いの地方都市の中には、この珍妙なアイデアに乗ったところもある。市民の税金が無駄に使われ、ダレもその責任は取っていない。

 件の読売新聞の記事によると、同じことはこの「市街地活性化基本計画」にもいえる。3割しか目標が達成できないこの計画に、国費6100億円が無駄遣いされた、という。ある「街づくり」関係者!でさえ、「この金を商業者や自治体が当てにして身の丈以上の計画を作っていることが多い」といった、と記事は伝える。

 野党も、政争の具になりやすく、俗論を喚起しやすく、テレビのワイドショーがノリやすい、憲法や安保や学校法人問題では空騒ぎする。だがこのような問題には一指も触れない。私自身も含めほとんどの国民が、このムダ遣いを見過ごしてしまうだろう。

 では「まちづくり3法」という商店街復興計画は、ナゼうまくいかないのか。

 答えは既に出ている。「まちづくり3法」などという法律を持ち出し、補助金をもらおうとする姿勢そのものが既に、失敗の原因を物語っている。それは市街地中心部すなわち商店街が、一方でチェーンの出店を抑制し、他方で補助金を出すという、いわば「乳母日傘」?の状態にならなければ、うまくいかない、ということを当事者自身が認めている、ということだからである。イオンのショッピングセンターが補助金をもらったことなど、仄聞にして聞いたことがない。経営を「経営の問題」ではなく「政治の問題」にしていること自体が、経営だけではうまくいかないことを、自認している、ということである。だがおよそ問題を「経営」ではなく「政治」に回して、うまくいった例など、古今東西に存在しない、ということを中心部の商店街は、分かっているのだろうか。

 だが私があえてこのテーマを持ち出したのは、以上のことを言い募るためではない。真の問題は、実は以上の例ではなく、例外的な「成功例」にこそある。ある商店街は、以上の事情にも関わらず「成功している」という。

 読売新聞の同記事によれば、その成功策とは、「商店街にIT企業(のオフィス?)、保育所、ゲストハウス、レンタルルームなどが入居、既存の「商店街」の看板を外し、商店街には興味のない人も呼び込む、ことにある」、という。テレビが大好きな学生経営店も同工異曲。だがそれは従来の「商店街」ではうまくいかない、ということであり、これらの諸策は商店にとっては「販促」でしかない、ということである。記事によれば、ある銀行の企画課長曰く「市街地は買物の場から、交流の場に替わっている」と。この成功例は、もちろん私が恣意的に持ち出したのではない。記者が取材した話である。例外的な成功例こそが、「商店街であることをやめること」が、成功の方法だと指摘しているのである。

 ではナゼ「商店街」ではうまくいかないか。その理由の1つは、10年以上前から私が指摘しているように、いや私だけが指摘しているように、地主・家主・店主が三位一体になっていることである。それが自覚できないのは、店主の座をかたくなに守ろうという人が多いからだ。店主の座さえ明け渡せば、その場所は有効に利用できる可能性があった。上記の「商店街放棄」による成功例は、そのことを物語っている。IT企業のオフィスもゲストハウスも、かつてはどこかの店主の店であったはずである。その成功は商店街の成功例ではないとしても、少なくとも店主の座放棄の成功例ではある。

 その2つは、催し、イベントなどの「販促」に期待しないことである。販促は、販促するに足るものがあって初めて効果を発揮する。私が「売れないときにはチラシをまくな」という金言を耳にしたのは50年以上前である。チラシをまけば人が集まり、多くの人がその目で売れない店を見れば、ますます来なくなる、まずやるべきコトは、売れない理由を確かめ、それを是正することである、人を集めることではない、という真理である。

 3つは、有利な条件を提示して、可能な限り多くのチェーン店を誘致することである。IT企業のオフィス、レストハウス・・は所詮「販促」でしかない。同じ「販促」ならば、買物客を呼ぶには、買物客を集めるチェーン店を呼んだ方がいい。

 4つは、商店街の距離を縮めること、業種業態の位置の組み合わせをお客の便利に沿って変えること、である。子供の靴を売る靴店と衣服を売る洋品店が、商店街の両端に位置していたら、お客は端から端まで歩かねばならない。

 5つに、スーパーマーケットはセルフだが、商店街ではお客は「会話」が楽しめる、などという情緒的な気休めを信じないことである。お客の買物の便宜をさておいて、「会話」などに期待するのは、現状を変えずに何とかならないか、という空しい期待でしかない。発言しやすくかつ耳に入りやすい、情緒、精神、心掛け、などに依存することは易しいが、問題を解決するのは、時間をかけなければ身につかない技術のみである、という厳然たる事実を率直に認めるべきではないか。

※この原稿は島田陽介先生のアドレス宛に、メールアドレスを送付した方に毎月不定期に送られる「今月の提言」から抜粋したものです(この原稿は2018年1月に送信されました)。