重要なのは、あくまで「実店舗の新しい魅力」であって、「ネット時代に、実店舗の魅力」ではない、ということを指摘しておきたい。というのも巷間、「モノよりコト」と言挙げするもののほとんどが、無意識に考えているのは『モノだけでは実店舗の魅力が出せない、売上げをネットに奪われる、だから実店舗に行くしかないサービス、すなわちコトも売ることで実店舗の魅力をいや増したい』ということだからである。

 それはもはや流通業における、特に新聞・雑誌を含めた流通業ジャーナリズムにおける新常識にまでなっている。だが、その常識は、間違いである。

「ネット時代だから、実店舗の魅力を問題にする」、のではないのだ。では、ネットがもしなかったら、実店舗の魅力をいや増す必要は無いのか、と考えてみれば、私の言いたいことの意味は直ちに了解できるだろう。

 実店舗は、ネットの有無にかかわらず、『絶えずその魅力を更新し続けなければ、カスタマーを創ることはできない、カスタマーを創り続けなければ、ネットと店舗とにかかわらず、およそ流通業は成立しない』というのが絶対の真理であり、それこそが今日でも正しい流通業チェーンの戦略テーマである。ネット対策が、戦略テーマなのではない。ネットに言及するのは、あくまでついでの話にすぎない。そのことを取り違えてもらっては困る。

 例えば、私は実店舗強化策として、店舗要員の笑顔などでどうなるものか、といっている。それは笑顔そのものを否定しているのではなく、「笑顔説」の多くが、モノはネットで売られてしまう、だとすればネットにないものは何か、と考えて苦心惨憺した結果生まれたこじつけだからである。「笑顔」説、「モノよりコト」説の最大の問題は、「ネット対策」を固定的に前提にして、実店舗の有り様を考えている、戦略的過誤にこそある。

 むしろ、検討すべき戦略テーマは、ではなぜ「モノよりコト」などという珍説が生まれるのか、いやマジメに実行されてしまうのか、それが戦略テーマだと誤解されるのか、ということだ。もちろん、最大の理由は、モノおよびそのアソートメントに、どうしてもその店に行かねばならないほどの魅力が欠けていること、新しい魅力を創り続けることができないこと、そう思っている企業が多いこと、すなわち、私に言わせれば「逃げ道」を探している企業が多いこと、にある。

 だが、もう1つの隠れた理由は、俗耳に入りやすい巷間の「マーケティング思考」にある。人口減少・少子高齢化といえば、ほとんどの現象が説明できるように、そしてその説明を正当化できるように、「マーケティング思考」は、かつてほどモノを買わなくなったというビッグデータ的現象から発想し始める。「少子高齢化」というビッグデータ的一般的な傾向が都合のいい説明の論理であるように、「モノを買わなくなった」という傾向も都合のいい説明説得の論理なのである。

 以前ほどモノを買わなくなったといわれれば、たいていの人が、そうだと思ってしまう。マーケティング屋にとって、それを全国統計データを駆使して説明するのは、手慣れたことにすぎない。新聞・雑誌にとっては、それこそセンセーショナルな見出しになるテーマである。だが、悪いのは「マーケティング屋」さんでも流通業ジャーナリズムでもない。彼らも商売でそれをやっているにすぎない(それに少なくとも流通業ジャーナリズム、かく悪口を述べ立てる私の言説も紹介してくれる?)。それに説得される方が悪いのだ。では、なぜそのような「マーケティング思考」に、説得されてしまうのか。自分の目で、自分の個々の店舗で、個々の個店のデータで、個々人の感性と感覚と論理で、自店のカスタマーをしっかり見ていないから、である。

 チェーンのメリットとは、規模にモノをいわせて「交渉」することにあるのではない。このように個店の連なりから、データの深い意味をくみ取ることができることにこそある。そのような感性・感覚を磨けることにある。なぜなら、感性・感覚を磨く第1の要因は、数多くかつ多種類の体験をすることにあるからである。本当に「数」がモノをいうのは、単に桁数だけが大きい「全国データ」ではなく、わがチェーンの「個店」のデータを元に、個々の個店の要員がお互いに感じ・考えるときである。

「モノ」より「コト」といわれるときの、「コト」の大半の本質は、実は「販促」でしかない。「英会話教室」があるから、集客できる、という。だが、そこでデスティネーションといえるのは、「英会話教室」であって、教室に来たものがする「買物」は、あくまでついでにすぎない。「英会話教室」という「コト」は、結果としてモノを売るための客寄せ、すなわち販促に用いられているにすぎない。

 いや最も恐るべき事態は、モノがコトの、コトがモノの相互依存の「販促」になっていることだ。英会話教室に行くのも特にその教室でなければならないからではなく、ついでにショッピングセンターで買物もできて便利だからであり、ショッピングセンターに行くのもそこが特にいいからではなく、ついでに英会話も学べて便利だからだ、とすれば、それは独自ではデスティネーションを発揮できないもの同士が集まることで、相互依存効果を期待しているということでしかない。

 だが「英会話教室」はまだいい方だ。ショッピングセンターで歌を歌う、というコトがある。だが、その歌はあくまで買物のついででしかない。なぜなら、もしその歌に英会話教室ほどのデスティネーション性があるのなら、チケットを売ってコンサートをやればいい。ショッピングセンターで歌われている歌(そしてその歌い手)は、あくまでチケットを売っても売れないデスティネーションの不在の歌手であり歌でしかない。もちろん、私は今は有名になった歌手も、売り出しの時は全国のレコード店を巡ってその前で、デモンストレーションをやった、街頭で演奏をした、というエピソードを軽んじるわけではない。ここで指摘しているのは、それは「モノよりコト」の「コト」の軽さ、デスティネーションの不在である。

 何よりも重要なのは、「モノよりコト」ということで、コトに事寄せて! モノとそのアソートメントによって、デスティネーション力を実現するという最大の戦略課題が、見落とされることである。「ネットをいったん忘れよ」というのもそのためだ。ネット対策が戦略なのではない。ネットに言及するのは、あくまでもモノとそのアソートメントをどう変えて、デスティネーション、すなわちお客をカスタマーにするか、という真の「戦略」を考える絶好の手掛かりとしてである。私がかつて著書『流通業の選択』(商業界刊)で、「アマゾンを無視せよ」と指摘したのも、そのためである。

※この原稿は島田陽介先生のアドレス宛に、メールアドレスを送付した方に毎月不定期に送られる「今月の提言」から抜粋したものです。