人々が街を回遊することで商圏は広がる

 大谷氏は居酒屋甲子園の理事長だった当時、地方を訪ねるたびに人口減少や商業の変化に伴うさまざまな現象を目の当たりにしてきた。これらに共通していたことは、一般の商業は大型商業施設のある郊外に移ってしまい、車での来店が多くなっていたこと。その一方で、駅前に小さな飲食店が増えているということだった。

「車社会で感じることは、大きな看板でなければ人々に認知されないということ。小さな飲食店が集まってきている駅前では、人々が徒歩で回遊することによって活性化するのではないかと思いました。人に歩いてもらわない限り、魅力的な店を発見するという体験はなくなっていきます」

 こうした思いから、北千住での店舗展開は人々に回遊してもらうことを意識して行っている。例えば、その試みの1つ、「魚屋ツキアタリミギ」は一歩一歩の本店よりも100m奥に立地していながら、一般のお客さまの他に宴会客でもにぎわっている。

 大谷氏はこう語る。「既存の飲食店街からお客さまの動線を引き延ばして、飲食店街をより広域なものにしていきたい。SNSが進んでいますから、目的来店であれば北千住の商圏はまだ広げることができると思います」

 一歩一歩のお客さまはほとんどが目的来店。だから広告宣伝費はほとんど使っていない。「かいだんのうえ」はオープン以来、宣伝広告費を全く使ってないが、5月末のオープン以来10坪で日商15万円を売り上げている。この要因は、既存店の従業員がお客さまに「かいだんのうえ」のことを告知していることや、リピーターのお客さまのクチコミによるものと考えられる。

 北千住9店舗の広告宣伝費は現状、月6万円。これもドミナント出店の大きなプラスの効果である。

北千住にこだわるキッカケとなったある一言

 ここで大谷氏と一歩一歩の略歴を紹介しよう。

 大谷氏は1974年生まれ、東京・亀有の出身。母の家系は商売人ばかりで、大谷氏も子供のころから大人になったら社長になるものと考えていた。

 飲食の道に入ったのは20歳で懐石料理の店に入ったことがきっかけ。そこで厳しく鍛えられ、23歳でさらに高級店に転職し、すぐに料理長に抜擢されたが、アイデアが功を奏し、売上げを約6倍に押し上げた。その後、創作居酒屋に転職。オーナーから「好きにやってくれ」と任され、本物の味にこだわろうと昆布からだしを取るなど手間を惜しまない料理を提供して、売上げを約1.5倍に伸ばした。

 そして、ある人から「北千住に店を出すので責任者になってほしい」と声を掛けられたのが北千住との縁の始まりという。3年間頑張った後、2007年3月に「一歩一歩」を出店し、念願の独立を果たした。

 この店は炉端焼きの店で、特に野菜の品揃えにこだわった。大谷氏と従業員はスーパーマーケットに足を運び、売場の研究に努めた。マコモダケや赤ナスといった、当時、スーパーマーケットで扱っていない野菜をメニューにしたところ、「家では味わえないメニューが楽しめる」と評判になった。すると、スーパーマーケットの人たちが来店するようになり、同店で扱う野菜がスーパーマーケットでも販売されるようになった。

「炉ばた焼き 一歩一歩」の店内。オープン当初は、野菜の品揃えや卓越した接客が地元の商売人に大きな刺激をもたらした。

 次に「接客がいい」ということが評判になった。すると、アパレル業界の人たちがどんな接客なのだろうと来店するようになった。こうした具合に同店は北千住で商売をする人たちにとって刺激的な存在であった。

 大谷氏が北千住にこだわるようになったのは、1号店のお客さまから「お前は北千住に残った方がいい」と言われからだという。大谷氏の商売に対する一生懸命な姿勢を、お客さまの誰もがいとおしく感じていたのだろう。