1957年種子島生まれ。池坊短大家政科卒。82年エステティックサロン「シェイプアップハウス」(現在のミス・パリ)をオープン。86年日本初の男性専用サロン「ダンディハウス」オープン。「ミスパリダイエットセンター」「WASPA」など国内外で114店舗の直営サロンを展開。90年「ミス・パリエステティックスクール」開校。05年「世界優秀女性起業家賞」受賞。08年優秀経営者顕彰女性経営者賞受賞。シェイプアップハウス代表取締役。学校法人ミス・パリ学園理事長/〔撮影〕室川イサオ

 スゴイ経営力だと思う。その決断力、勇気、器の大きさ、辣腕経営者である。

 1982年大阪・難波の古びたビルの2階で痩せることに特化したエステティックサロン「シェイプアップハウス」を創業し、1986年には日本初の男性専用サロン「ダンディハウス」をオープン。1990年にはエステティシャン養成スクールを開校、1995年にサロンの全国展開を始め、2004年にISO9001:2000を取得。2008年からは東京大学とスキンケアにおける共同研究をスタートした。2009年には海外1号店を香港に出店し、2015年に銀座にお城のような13階建ての本社ビルを建てた。現在、脱毛業界も含めて業界6位の会社である。

 エステ業界の2018年度市場規模は約3587億円(見込み、矢野経済研究所調べ)。「エステティック ミス・パリ」を有するミス・パリ・グループの売上高は148億円(2018年度)、店舗数114店舗。サロンは現在、香港、上海、シンガポール、台湾にも広がっている。

 従業員数812人(2019年4月現在)のうち約700人がエステティシャンで、あとは教育に携わる人たちだ。銀座本社にいる管理部門の約40人もほとんどがエステティシャンの有資格者であるため、同じビル内の店舗で人手が足りないときは、いつでも駆け付けることができる。

 現在、ブランドとして、女性のための「エステティック ミス・パリ」、「男のエステ ダンディハウス」、女性のやせる専門店「ミスパリダイエットセンター」、男のやせる専門店の「ダンディハウスパーソナルジム」、日本を五感で体験する「WASPA(和スパ)」。

 その他に技術者を養成する専門学校「学校法人ミス・パリ学園」が、ミス・パリ・ビューティ専門学校とミス・パリ エステティック専門学校を全国に4校(2019年4月現在)有している。さらに2004年に設立したNPO法人日本スパ・ウエルネス協会では業界の健全な発展と、エステティック上級資格の認定などセラピストの社会的地位向上を目指している。

お客さまと社員に恵まれた

 銀座にある東京本社。12階の受付から、らせん階段を上ったところにある豪華な社長室にスーツ姿で登場した下村朱美社長は、穏やかに話し始めた。「お客さまと社員に恵まれたんだと思うんですね。本当にそれだけです。当社は売上げをたくさん上げる会社ではありませんが、非常に安定して成長してこられました。当社の第1店舗目がオープンする3、4年前から国内のエステティックサロンのオープンラッシュが続き、月に10店、20店とサロンをオープンしていく会社が多かったんですけれども、私どもはオープンして2年ほど経ってから1、2店舗ずつ増やしていきました。人が育ってからと思うとなかなか急には増やせなくて、それをずっと続けてきた会社なんです」

 他社との大きな違いは、何十年も通い続ける固定客を持っていることだと言う。「新規のお客さまを増やすには莫大な広告費も必要となりますし、どんな方がいらっしゃるのかもあまりよく分かりません。私は、社員におもてなしのマナーであるとか、理論的なこと、技術的なことを教えてきましたけれど、営業的なことはあまり教えたことがなかったんです。大型チェーン店は教育のほとんどが営業だということを、創業して23年目にして初めて知ったくらいでしたから、のんびりしているんですね。そうしますと、お客さまは安心して、『ここだったら体を触らせても大丈夫』というようなところがあったみたいなんです。一生懸命お客さまを大切に触ることができる、そういう技術者をつくれたのかなと思っているんです。

 当社は資格制度をすごく推奨していまして、例えば、18種類の技術にレベルを設けています。技術者たちは教育部が行うレベルチェックを受けて、技術のレベルを上げていきます。外の団体が行う資格制度にも積極的にチャレンジしています。当社はそんな社員の頑張りにさまざまな資格手当を出して、美のプロフェショナルになるための応援をしています。私たちがお客さまにできることは、技術を磨き、知識を深め、勉強することしかないんですね。サロンはお客さまが受けられる技術のランクが一番高い技術者から順番に担当に入っていくシステムで、私たちが持っている中の一番良いものをお客さまに提供したいと思っているからです。社員たちはそのために、一生懸命勉強したり、技術を上達させたりしていきますから、お通いのお客さまは社員たちの成長を本当に感じてくださって、だから『また次も来ようかな』『また、来年も通おうかな』と思ってくださっているのだと思います」(下村朱美社長)

種子島から京都、アメリカ、そして大阪にサロン開業

 下村社長は種子島の出身である。製糖工場に勤める父親と専業主婦の母のもと、一人っ子として生まれた。子供の頃から活発で、テニスはインターハイの地区予選の決勝まで進むほどの腕前だったとか。高校を卒業すると、いつも祖父から話を聞かされていた憧れの京都に行き、京都ならではの文化を学ぼうと池坊短期大学家政科に入学。池坊文化学院、池坊中央研修課を経て、自分の語学力を試すためにアメリカへ留学したが、半年で親に連れ戻される。しかし、自立したかったため、知人に頼まれた化粧品販売を関西で始めることにした。その化粧品は、美容師に美顔術の講習会を開き、技術を教えながら販売するという方法をとっていた。技術を習得しながら、化粧品の販売のために美容室を回る毎日が始まった。

 自分のサロンが持てたらいいなという漠然とした夢を持ち始めたころ、自分が通うエステティックサロンの技術者たちが化粧品の成分や皮膚の構造、肌タイプ、体質、施術の意味などについて知識がないことを残念に思っていた。「お客さまも技術者も安心できる明確な理論を持つサロンを作りたい」「技術者にもっと勉強をさせてあげたい」「技術者が自分の仕事に誇りを持てるようにしたい」という思いで25歳の時に自分のサロンを開業する。

 ところが、総合エステティックサロンにするための機器を買いそろえる資金が足りず、自分の一番興味があった痩身専門の店にすることにした。「お客さま一人一人の体質を理解して理論づけられた施術や通い方をシステム化した独自の痩身コースをつくりました」(同)

 そのサロンが大ヒット。全国から教えてほしいと技術者たちが学びに来た。8年後には大阪にスクールを開校し、スクール経営も始めることにした。この痩身の方法はその後、改良を重ね、大学や医療機関で効果の検証を行い、現在、医学的にもスポーツ医科学的にも認められた業界初のシステムになっているそうだ。