「天地人に感謝」は、ヒゲタ醤油の精神的な柱になる言葉。天の恵みに感謝、地の利に感謝、人の心に感謝を表す。
<プロフィル>ヒゲタ醤油代表取締役社長 濱口敏行さん 1943年神奈川県鎌倉生まれ。67年上智大学経済学部経済学科卒業。70年バージニア大学経営大学院(ダーデンビジネススクール)卒業MBA取得、71年キッコーマン入社。79年ヒゲタ醤油入社。85取締役就任。99年代表取締役専務就任。2002年代表取締役社長就任。〔撮影〕室川イサオ

創業は『大坂夏の陣』の翌年

 ヒゲタ醤油の創業は、『大坂夏の陣』の翌年の元和2年(1616年)、銚子でたまり醤油の製造販売を始めたところまでさかのぼる。明治33年(1900年)に宮内省御用達を拝命し、明治39年(1906年)のミラノ万博では最高名誉大賞を授与されるほど品質への信頼と評価が高い。400年の間に合併や合同などさまざまな変遷があり、現在は、業界最大手のキッコーマンと資本提携し、キッコーマンの傘下に入っている。

 創業家である濱口家の11代目の次男坊、濱口敏行社長は、鎌倉で生まれ育ち、栄光学園から上智大学へと進み、卒業後アメリカへ留学。「小さくてレベルが高くて日本人があまりいない」大学を探していたら、今のキッコーマン茂木友三郎名誉会長が、バージニア大学の経営大学院(現在のダーデンビジネススクール)を薦めてくれた。ここに留学し2年でMBAを取得。バージニア大学では日本人第1号となった。

「経営の基礎を学んだことと、ケースメソッド主体のスクールでプラクティカルな問題解決や意思決定の方法論がよい勉強になりました。実践的な学びは今も役立っています」(ヒゲタ醤油・濱口敏行社長)

 日本に帰国後、キッコーマンに入社する。最初の上司は当時、海外事業部課長だった茂木友三郎さんだ。キッコーマンが初めての海外生産拠点としてアメリカに建てたウィスコンシンの工場建設プロジェクトチームに携わったのを皮切りに、8年勤めたが、ヒゲタ醤油社長だったお父様が亡くなったためヒゲタ醤油に入社することになった。1979年のことである。1987年から敏行さんの兄である長男12代目が社長に就任していたが、その長男が同じく社長を務めていた同族で1716年から経営していた酒類食品卸売業「廣屋」の経営危機を契機に、2002年、お兄様からヒゲタ醤油の社長を引き継ぐことになった。それから17年、ヒゲタ醤油を支えてきた。

守りの経営に徹する

「次男だったこともあり、社長になることなど全く考えていませんでした。帝王学とか先祖からの教育などもありません。ただ、父からはまじめにコツコツと仕事をすることを学びました。社長になってからはずっと、事業をいかに継承していくかについてだけ考え続けてきました。守りの経営に徹し、生き残りをかけた。当社の歴史はこのような危機の連続だったと思います」(同)

 業界最大手のキッコーマンと資本提携することで危機を乗り切り、今はキッコーマングループの中でキッコーマンブランドとは差別化した形で事業の発展を図り、ブランドを守っている。従業員はパートを含めて約350人、売上高104億円、醤油の生産量は年間5万5000キロリットル(2019年4月現在)である。キッコーマンはグローバルブランド、ヒゲタは銚子を地盤とした地域ブランド、マーケットもキッコーマンは圧倒的に家庭用で、ヒゲタは業務加工用が大半という、すみ分けができている。

「自分が目指している経営とは、CSRでいう経済性、人間性、社会性の3つの価値のバランスを取りながら、いかに厳しい生存競争の中で生き残るかです。アングロ・アメリカ流の経営の効率と、株主利益の追求と、日本的経営の良さのバランス、従業員や全てのステークホルダーを考えた経営が大切だと思います。特に、醸造業というのは長期的視点を考えた経営をしないと成り立ちません」(同)

「キッコーマングループの中で、どうポジショニングするかが一番の課題でした。ずっと競争してきて、その中でも資本関係や販売提携などいろいろな歴史があるわけですよ。風土も全く違いますし、ブランドを差別化しなくちゃいけないし、差別化しながらグループとして生きていくことを悩んで、あがいてきた17年間でした。キッコーマン出身の加瀬奏美さん(現・取締役専務執行役員)がヒゲタに入ってくれて、やっとキッコーマンの中でいいポジショニングができてきました」(同)

「国内での成長は見込めませんので収益重視でやっていますが、ここ5年ほどいい。企業が長く続くためには常にイノベーションが必要なことと、それから1つの業界の中で鮮烈な戦いをしているので、生き残るためには戦国大名と同じような我慢と苦労の中で地道な経営をほそぼそとでも続けていくことが肝要です」(同)

 400年ののれんの重さは、計り知れないものがある。