元・巨武蔵、木村謹仁さんは東中野で「つけ麺 しろぼし」

 そうした縁や経験を大切にする元力士が、東京・中野区でラーメン屋を営んで5年目を迎える。東中野の「つけ麺 しろぼし」。営むのは元・巨武蔵(おおむさし)こと、木村謹仁さんだ。

 

 木村さんはわんぱく相撲をやっていて、全国大会にも出場。相撲部屋に泊らせてもらったりと、子供の頃から相撲とは縁が深かった。それでも将来は力士に、とは思っていなかったものの、テレビで見た千代の富士の引退番組に感動。「相撲って魅力がある」と武蔵川部屋に入門した。めっちゃさんと同じく15才のときだ。

「相撲部屋に入って驚いたのは生活に関わる全てを自分たちでやらなきゃいけないことでした。当時の武蔵川部屋は武双山関、出島関、雅山関と黄金時代で、部屋には30人ぐらいいました。最初は全員が先輩で思った以上に厳しかったです」

 その後、木村さんは横綱・武蔵丸の付け人となり、一番身近にいる人となって、多くのことを学んだそうだ。

「横綱は偉大な特別な人。付け人も10人ぐらいいて、僕もその1人でした。横綱は本当に面倒見のいい方で、いろいろな所へ連れて行ってくださったり、礼儀や人に対するわきまえとか、社会人として大切なことをたくさん教えてもらいました」

「相撲を15年やっていた」はすごいキャリアになる!

 そして、木村さんは30才で引退。まずは「社会ってどういうものか?」と学ぼうと、アルバイト雑誌で探した飲食店に応募した。

「すぐに雇ってもらえました。相撲界に15年いました、と言ったらそれがキャリアとして認められて『ぜひ来てください』と言われました。現役時代は十両間近まで番付を上げていたので、ちゃんこ番はあまりやっていなかったんですが、包丁は使えましたから。その後、ちゃんこと融合させたラーメンが作りたい!と思ってラーメン屋で何軒か働きながら、自分で研究を重ねました。自分は飽きっぽい性格だと思いますが、ラーメンに関しては熱心にやりました。ちゃんこを作ってきた経験も生かせるし、ラーメンは国民食。必ず喜んでもらえると信じて、少しずつ改良を重ねていきました」

 

 そして5年前、中学時代の友人が営む不動産屋さんから今の物件を紹介され、開業を決意する。

「そのだいぶ前から事業計画書は作ってあったんですけど、資金もなく、ヘルニアを患ったりして、一時は諦めていました。

 でも、それをまた引っ張り出して、金融公庫に行くとそこでもやっぱり『相撲を15年やっていた』ということを評価してくれ、思っていた以上にスムーズに資金を借りることができました」

「相撲とずっとつながってラーメン屋をやっていけたら」

 そしてお店は5年目を迎えた。ラーメンの味はあえて変えていない。ちゃんことラーメンを融合した「しろぼしつけ麺」は何種類もの野菜でだしを取って、鶏つくねがドンと乗り、「ゆず+大根+油揚げ」をレンゲに乗せてアクセントにしたりと、和風の優しい味で胃もたれすることなく、小さな子供にも人気だ。また自家製ラー油で味付けした「辛みつけ麺」は女性客にファンが多い。お昼時には行列ができることも珍しくない、今や地元に根付いたラーメンの名店になった。

「相撲界とのつながりは、第2の人生にとって、とても大事です。今も後援会の方がお店に来て下さり、関取や親方もいらして下さいます。自分もただラーメンを出すんじゃなくて、力士としての経験を生かした空間を楽しんでもらいたいと思っています。相撲部屋でちゃんこを食べてるような、おすもうを見に来てるような雰囲気を作り、ラーメンを食べて相撲にも興味を持ってもらえたらうれしいです。そうそう、スー女(相撲ファンの女性)もいらしてくれますよ。現役時代の思い出など、いろいろと相撲について会話を楽しみます。相撲とはずっとつながってラーメン屋をやっていけたらと思います」

 

 元力士は「おすもうさん」の肩書と経験を生かしてセカンド・キャリアを築いていく。衣食住を共にし、社会を学ぶ相撲部屋で培われたものが信用となって生かされているのだ。