いろいろなことに大らかな時代だった

 昭和40年、私は新販売制度のスタートを販売会社に出向して実践することとなった。

 熱海会談後、打ち出された新制度は3つあった。

(1)販売会社のテリトリー制:それまで販売会社の担当エリアはなかったので販売会社同士が過当なまでの競争をして販売を競っていた。

(2)現金支払報奨金制度(月末現金支払いリベート3%):販売会社への電気店からの支払いは手形で銀行とは関係なく、自宅発行手形で60日~90日と長期であった。

 電気店も回収したお金は支払いまでの期間があるので流用してしまう。販売してもお客さまから即回収しなくて売掛けとして現金回収は少なかった。

 電気店自らクレジットとして自己月賦で販売拡大することも多く、不良債権も多く発生していた。回収率100%でも不渡り手形も多く、実質回収率は相当に低いものとなり、大阪の販売会社で20数億円の手形を持つこともあった。

 これは松下電器に月末現金を支払えば現金報奨金3%がもらえる魅力あるリベートの制度だった。従って、電気店もお客さまから現金で回収することが多くなってきた。

 直集制度としてメーカークレジット会社が電気店の売掛債権を買い取り、直接、お客さまからメーカーが回収する制度も電気店の資金回転を好転させた。

(3)販売会社に対する直取制度:それまで松下の各商品事業部から地区ごとに営業所が仕入れて、そして販売会社へ販売していたが、それを。営業所を外して製品を生産する事業部と販売会社が直接取引をして。営業所は回収する役割だけにした。

 生産事業部の営業は初めて販売会社と商談する役割を担うことになった。それまで営業所の営業マンは「今月ノルマに届かないので10億円、何でもよいから仕入れてくれ」と頼むことが多かった。私も担当販売会社に実に6カ月分の冷蔵庫を仕入れてもらったこともあった。

 この新販売制度になって各事業部がきめ細かく実需を予測して仕入れる、マーケットイン的な計画仕入れを指導する立場に変わった。

 私の担当する量販店営業は全てが単品での商談で、仕入れ量に対するリベートは通用しなかった。自分の裁量で仕入れ額リベートと単品に対する対策費を併せて単品ごとの仕入れ条件を提示する、リスクある営業力が必要であった。

 アウトサイダーへの商売のやり方は量販営業マンに委ねられていたため、極端なディスカウント価格も発生した。大量生産して大量販売できずに残った商品の処分は東京・秋葉原、大阪・日本橋、京都・寺町であった。

 メーカーの処分市場として大きな力を持つ特殊市場をつくってしまうことになった。

 必要悪といわれたこの特殊市場が衰えていく原因は広域に出店して特別条件を背景に安い売価が各地で発生したことであった。

 この激動の家電業界でアウトサイダーを担当したことは大変勉強になった。

 現在、この量販店アウトサイダーが国内63%のシェアをもつ主役になっている。

売上至上主義には弊害があった

 私の松下電器時代、40年間を振り返ってみると、物不足があり、復興期で売上げが全てであった。

 経営も売上げが伸びればすべてが良い方向へ解決するため、経営改革よりまず売上げ達成であった。

 社内で起きる不祥事も多く、二度と起きないように考えつくられた経理制度はまさに問題が多かったことから始まった。

 そして日本一といわれたが、売上げをつくる力はすごかった。他社が発明した製品は販売の松下が刈り取っていた。

 強い系列販売網も2万74店のナショナルショップとナショナル加盟店を加えると総電気店数の60%を超えていた。

 圧倒的な間口を持ち発売した商品もこの間口の力でシェアを確保してきた。変化が始まり、改革を必要としたときは逆に簡単に変えられない矛盾との戦いとなった。