北極冒険家 荻田泰永

 おぎた やすなが●1977年、神奈川県愛川町出身。カナダ北極圏やグリーンランド、北極海を中心に主に単独徒歩による冒険行を実施。2000年より17年までの18年間に15回の北極行を経験し、北極圏各地を9000km以上移動してきた。世界有数の北極冒険キャリアを持ち、国内外のメディアからも注目される日本唯一の「北極冒険家」。16年、カナダ最北の村グリスフィヨルド〜グリーンランド最北のシオラパルクをつなぐ1000kmの単独徒歩行(世界初踏破)。18年1月5日(現地時間)、南極点無補給単独徒歩到達に成功(日本人初)。17年植村直己冒険賞受賞。日本国内では夏休みに小学生たちと160kmを踏破する「100milesAdventure」を12年より主宰。北極で学んだ経験を旅を通して子供たちに伝える。海洋研究開発機構、国立極地研究所、大学等の研究者とも交流を持ち、共同研究を実施。北極にまつわる多方面で活動。著書『北極男』(13年11月講談社刊)
★講座は2019年2/20(水)6:30 ~ 7:30の予定

 

冒険も経営も「着く所」は決めてはいけない。「向かう先」だけ決める

 きっかけはNHKのテレビのトーク番組でした。1999年、大学を3年生でやめて、特別にやることもなく、ただエネルギーだけが余っている、そんな時期でした。

 偶然見たその番組で、まったく知らない冒険家の人が、北極や南極を歩く話をしていたんです。その冒険家は大場満郎さんという方で、その番組を見るまで私は大場さんを知らなかったし、北極も極地の冒険もまったく興味がないどころか、考えたことすらありませんでした。

 けれども、番組の中で大場さんの冒険の話や、なぜ冒険を始めたのかなどの話を聞いているうちに、だんだん引き込まれていったのです。

 番組の最後に大場さんが、「来年、まったくの素人の大学生くらいの若者を連れて北極を歩こうと思っているんです」と言っていたのを聞いて、自分も参加しようと思い、大場さんに手紙を書きました。

 それで、翌2000年の春、22歳のときに、カナダの北極圏を700km歩くという冒険に参加したのです。何十万円もかかる費用もバイトでつくって。それが初めての冒険でした。

 今から思うと、その当時の私は、自分のエネルギーをどの方向に向ければいいのかが分からなかったのです。自分は人より優れているなどと思えることはなかったし、中学、高校は陸上部だったけれど、インターハイで優勝したとか、何かの実績もなく、何もやったことがなかったのです。

初めての北極が初めての海外旅行だった

 でも、自分には何かできるんじゃないかという根拠のない自信だけはあって、「人がやっているのと同じことをやっても面白くない」とも思っていました。若い頃に誰にでもありそうな勘違いなのですが、テレビの中の大場さんは、足の指を10本切断して、それでも北極や南極を歩いていると話していました。「この人、すごいな」と素直に思いました。大場さんは、自分のエネルギーを向ける方向を知っている人なのです。

 だから、私は別に北極に行きたいと思って北極に行ったのではなく、「この人が若者を連れて行くというのなら何かあるのではないか」と思って参加して、それがたまたま北極だったというだけなんです。

北極圏でのテントの様子。北極圏へはカナダの国内線を乗り継げば到達できる。イヌイットの集落などがあって、「人が住んでいれば必ず飛行機は飛びますから」(荻田さん)とのこと。

 北極圏へは、カナダの国内線を乗り継ぎながらどんどん北へと向かいます。完全に北極といわれる街にはイヌイットの集落があり、人が住んでいれば必ず飛行機は飛びますから、結構な所まで行くことができます。

 実は、初めての北極が私の初めての海外旅行でした。35日間そりを引いて歩くのはそれなりに大変といえば大変でしたが、見たことのないものの連続だし、話したことのない人、聞いたことのない話、食べたことのないもの、日本を出て2カ月近く、自分が見たこともない世界をどんどん見ることができることが面白く、とても充実感がありました。

 ところが、北極圏700kmの冒険を終えての帰国後は、もともとやることがないものですから、またバイトして日々を過ごし、しばらくして、ある日、自分のやっていることは前と変わっていないことに、はっと気付いたのです。

 それで私はまた翌年も北極へ行くのです。北極に初めて行く前は、自分の世界がすごく狭く、外の世界を知らなかったから、出たくても出方が分かりませんでした。でも、1回北極に行くことによって、一つの出方を覚えたわけです。