月刊『商業界』、2018年11月号の第2特集「『一品勝負』の人気店」。「くるみ餅」「豚饅頭」「ツナ」「牛カツサンド」……。1つの商品に特化した全国の名店、9店を取材・紹介しています。

 なんでも簡単に買える、現在の成熟した市場でお客さまに選んでもらうことは並大抵のことではありません。そんな中、長く選ばれ続ける「一品」で勝負するお店はどんな工夫や苦労を乗り越えてきたのでしょうか。

 商業界オンラインには、4社を掲載。皆さんも「自信の一品」作りませんか?

2017年、福岡・天神イムズで個展を開く。館内中央吹き抜けで「あっぱれ滝桜」を展示。最長28.5m、2種の桜柄ガーゼ手拭いを計72本使った、全長約1300mに及ぶ作品である。コスプレ姿の十四世の姿もスクリーンに。

永楽屋(京都市)
十四世細辻伊兵衛 さん

代表取締役社長 兼テヌグラファー 細辻伊兵衛さん
1964年8月、滋賀県生まれ。高校卒業後、自動車メーカーに就職。その後、アパレル業界に転職。92年に永楽屋の長女と結婚し、永楽屋に就職。94年代表取締役、99年代表取締役社長就任。2000年十四世細辻伊兵衛襲名。京都伝統産業青年会平成30年度会長。

「ベンチャーからいきなり世界の大企業になる会社もあるが、利益を大きく上げることよりも、長く継続することを信条とするのが京都の商売」と話す永楽屋社長の十四世細辻伊兵衛。

 永楽屋の創業は1615(元和元)年、今年で404年目を迎える。木綿を扱う会社では日本で一番古い。

日本最古の綿布商 数々の危機を乗り越える

2018年7月の手拭いオリンピックで「祇園祭と舞妓さん」が、金メダルを受賞。

 794年、細辻家は奈良から京都に移住し、脈々と商売を続けてきた。

 創業以前に織田信長公の御用商人となり、絹を扱っていたが、「これからは太物(綿織物・麻織物の総称)の時代」との信長公の助言により、1615年に、麻や綿を扱う太物商になる。

 信長公は永楽通宝を気に入っており、出陣する際の旗印や着物の柄に取り入れていた。そこから永楽屋の名前を信長公より賜り、商人でありながら細辻の名字も頂いた。

 また、四世が作った家訓「教訓大黒舞」は、今でも朝礼などで社員が歌う。「教訓大黒舞」のとおり実行していれば、店がつぶれないといわれている。

 京都の老舗では、戦災といえば「応仁の乱」だと聞くが、永楽屋の危機は、1788年の天明の大火、1864年の蛤御門の変の時などがある。京都の街が燃え、永楽屋も被害に遭った。しかし、火事で燃えて絶望を体験しても、商売を続けていかなくては、という情熱があり、先人の努力の結果、今も店が続いている。

 明治維新による東京遷都は、「このままでは京都が衰退していく」と、京都の人々に危機感を抱かせる出来事だった。そこで京都に人を集めようと、1872年に「都をどり」を始める。毎年4月に行われ、2018年に146回目を迎えている。

 そんな京都の歴史の中、永楽屋は1964年、東京五輪など国際化に対応した国際電話局開設のために、代々商売をしてきた一等地、三条烏丸のまとまった土地を譲る。

 さらに下って92年、十四世が永楽屋の長女と結婚、同時に永楽屋に入社したが、結婚3カ月後に母が、翌年に先代である父が亡くなる。先代から商売を学んでいる最中だった。

昭和初期の図案が100柄以上あり、毎年復刻柄を精力的に出していた時期もあった。左はモガ(1932年ころ)、右はオーケストラ(38年ころ)。

 そのころは手拭いよりタオルが主流だった。十四世は安価なイメージの手拭いの製作全工程を見直し、織り糸の種類や番手、織る密度を変更、けばが非常に少ない高品質な仕上がりで、安定した製造ができるようにした。デリケートなデザインを染めるには、フラットな生地を作ることが必要だった。

 永楽屋には昭和初期の手拭いの図案が残っており、それらを復刻させた。事業の柱を確立するため、手拭いを商売の主流に戻したのである。

「それまで卸をしていましたが、2000年に製造小売りを始めました。永楽屋の長い歴史の中での初めて小売りで、最初は全然売れませんでした。売り方が分からないと、良いものを作っても売れないんですね」と十四世。

 そこで、思い切って攻めに出る。観光客をターゲットに四条通りや祇園に出店。祇園店は特に外国人観光客に好評だ。次に平等院、JR京都駅八条口の新幹線改札近く、修学旅行生の多い新京極にも出店。日本人客対外国人客は7対3で客単価はおよそ4000円。一番にぎわっているのは八条口店だ。

 09年には東京へ進出、新宿、東京駅、羽田空港、二子玉川、東京スカイツリーなどに出店した。「11年3月の東日本大震災で、従業員が帰宅できず店で寝泊まりしたり、開店間際の店の工事が遅れたりと、思い出しても胸が痛みます」と十四世。遠距離での人の管理は難しく、15年に東京から撤退。現在は、京都市内で9店舗を展開する。

テヌグラファー、コスプレと新しいことを発信

京都国立博物館に寄託されている狩野山雪の雪汀水禽図屏風は、初代が制作を依頼し、長らく所有していたもの。今は、当時の京都の最高の絵師が手描きで模写したと思われる袱紗が残されている。

 3年ほど前から「テヌグラファー」として、新たな挑戦を始めた。

 永楽屋創業400年を機に、15年に東京・青山のスパイラルガーデンで個展「14世・細辻伊兵衛手ぬぐいアート展」を開催し、好評を得る。その後、京都タカシマヤや福岡・天神のイムズなどでも個展を開いている。

 同じころから、アジア圏の経営者が京都の老舗を巡り何百年も続く企業の経営者の話を聞きに来ている。十四世は「手拭いの伝道師」として、一部に手拭いを使った天草四郎のコスプレをして講演。SNSブームの昨今、インスタ映えがしてとても好評だ。

 手拭いの用途としては、花を生けるように毎月の手拭いを額に飾っている祇園のバーや料理屋があったり、板前が頭に巻いたりしている。「毎日洗えるので帽子より衛生的」との声が届く。

 最近は、小売り以外に、𠮷兆や企業の記念品、ミュージアムグッズなどOEMも手掛けている。

 今後の課題は、人あっての会社なので、風通しを良くして、働きやすくしていくこと。「職人さんとの連絡もコミュニケーション能力が必要。職人さんに、あの会社だったら頑張ろうと思われるようにしたい。そうしていかないと、会社が伸びていかないと思います」と、十四世は笑顔で語った。

 

  • 地下鉄烏丸御池駅から歩いて3分。7月の祇園祭の宵山の山車が出るエリアにある永楽屋細辻伊兵衛商店本店。
    企業名/(株)永楽屋
    本 社/京都市中京区室町通三条上ル役業者町368
    代表者/十四世細辻伊兵衛
    年 商/非公開
    店舗数/9店
    従業員数/約60人

 

 

※本記事は『商業界』2018年11月号に掲載されたものです。内容は取材当時のものです。『商業界』はオンラインストアや紀伊国屋書店など大手書店で発売しております。