かつては観光名所にもなっていたトイザらスのニューヨーク・タイムズスクエア店。今はもうない。

「トイザらス」の1号店は創業者チャールズ・ラザラスが1957年米国ニュージャージー州パラマスに開業した。

 米国では第2次世界大戦が終わり海外に派遣された多数の軍人が相次ぎ帰還し、ベビーブーマーと呼ばれるベビーの大群がその後十数年間にわたり出生した。この米国で「ベビーが幼児、ジュニアになるまで玩具から離れることはない」と見通したラザラスは、圧倒的な商品量とスチール什器の上部にストックを積み、倉庫を兼ねる倉庫型の巨大店舗で、どこよりも安く販売するトイザらスで玩具マーケットに参入。過去に類例のないこの店は子を持つ親の熱い支持を獲得した。

 1号店の成功で全国展開を志向したトイザらスは徐々に国内で認知されていき、後年他のカテゴリーで同一フォーマットを使うカテゴリーキラーを目指す小売業の勃興につながった。

 多様な分野のカテゴリーキラーがそろい始めるのを見て、ショッピングセンター(SC)のデベロッパーが、郊外の広大な土地に多様な商品を低価格で販売するトイザらス同様のフォーマットを持つ小売業を集積する新しいSCを発想した。これが後にパワーセンターが全米に波及する大きな動きとなる。

パワーセンターを軸に成長しアマゾンの攻撃で減速

 このSCは目的の店の前に車を止めて商品を買って車で次へ移動するために買物は短時間で済み、店間移動が徒歩で買物以外の無駄が多いモール型SCに不満を持つ共働き層の支持が全国に広がり、トイザらスは新設されるパワーセンターを中心に全米展開で伸びていった。

 90年代には、米国小売業の売上高ランキングでそれまでは常に1位の座にあった「シアーズ」に代わってディスカウントストア(DS)がナンバーワンになり、カテゴリー別売上高でも玩具、文具などはDSがシェアナンバーワンになるケースが増えて、カテゴリーキラー対「ウォルマート」「ターゲット」の2社という構図が定着した。

 毎年大幅に店舗を増加させるDSが低価格を武器に、家電、玩具、文具、AV(オーディオビジュアル)ソフトなどを狙い撃ちする戦略を進め、隆盛を極めたカテゴリーキラーの力が徐々にそがれていった。

 2000年を前に米国の玩具販売高ナンバーワンの座をウォルマートに奪われたトイザらスは、DSの価格攻勢に対抗すべく、倉庫型店から「コンセプト2000」と呼ぶ新店舗への転換を表明。ファンドから導入した資金によって、既存店のリノベーションや新店開発に注力したが成果を得られず、コンセプト2000への転換は頓挫し、導入資金の利払いが現在まで続いたことがトイザらス破綻の遠因にもなった。追い打ちを掛けたのが書籍に続いて玩具に注力した「アマゾン」だった。

 年末商戦は玩具も書き入れ時だが、ブラックフライデーからサイバーマンデーまでの間、アマゾンはいつどこからでも発注できて、すぐに配送されることで支持が増えた。DSも売場と同等のインターネット対応をしたが、ネット対応で後手に回ったトイザらスは最後まで苦しみ、営業時間がどこよりも長いことを武器に対応したが、セールの待ち列も短くなった。

 あらゆる小売業態に関心を持って「アマゾンブックス」を開業、「ホールフーズ・マーケット」を傘下に収め、無人コンビニに挑戦するアマゾンは、カテゴリーキラーの没落に拍車を掛けることになった。

トイザらスは日本では成功 日本方式の運営が奏功

 日本トイザらスは91年12月に茨城県土浦市の荒川沖に1号店を開店した。翌年1月奈良県の橿原市に2号店を開店した際には当時のブッシュ米国大統領が米軍のヘリコプターに乗って、借り上げた自動車教習所に降り立った。

 そしてリムジンで建物に入り、店前の駐車場にしつらえた特設ステージで約300人の招待者と多数の報道陣を前に来日して最初の演説をした。

 演説は「トイザらスが日本で成功を収めるならば、米国でトイザらスに触発されて生まれた、生活に関わるさまざまなカテゴリーで成功している『商品が豊富で価格はどこよりも安い大型店』がこぞって日本に進出し、日本の国民はより良い生活を送ることができるだろう」という趣旨のものだった。

 同年3月神奈川県相模原市に3号店を開店。1号店から3号店までの店舗売上高は1店当たり全て30億円を上回った。為替の影響もあるが、米国の1店当たりの平均売上高と比較すると日本の数字はおおよそ2倍になる。ブッシュ大統領の演説以来、メディアも「黒船襲来」「カテゴリーキラー上陸」などと取り上げ、店に来た人は「こんなおもちゃ店見たことない」などと家族や友人に話し、知名度は急上昇し、日本に定着していった。

 その後、日本では「年間10店の新店開業」という米国本社と交わした契約を10年間にわたって完全に履行し、店舗運営については欧州からも研修に来るなど世界の範となる存在になった。

「米国以外で最も成功したトイザらス」という評価を得た日本法人の成功要因は他のカテゴリーキラーが気にも留めなかったローカライズだったのだ。