日本料理店の経営者になるための修練

 同ホテルで4年間勤務し、昇進試験を受けたところ、長島氏は昇進することができなかった。自分の感覚では十分に合格点に達しているという認識を持っていたことから、料飲部の部長に合格できなかった理由を尋ねたところ、このように言われた。

「お前は家に戻る人間だから」

 そこで長島氏は「このホテルでこれ以上、自分が学ぶものがない」と思ったという。長島氏は師にこのように述べた。

「これまで大変お世話になりました。こちらのホテルでは公のおもてなしと組織について勉強させていただきました。次は料理屋さんで修業をしたいと思います」

 すると師は、「俺が紹介してやる」と言って、名だたる料理店を幾つか挙げた。長島氏はその中で師が薦める料理店に住み込みで勤務することになった。ここに2年間勤務した後、川越幸すしに入社した。

 家業に戻った長島氏は、勤務の傍ら、経営者となるべく勉強に励んだ。簿記の資格を取り、その後、師が主催する経営者育成塾に参加。こうしてさまざまな若手経営者たちとの交流を深めた。

ハラール対策の重要性を考えるようになったきっかけ

 前述の通り、川越はさまざまな海外の人と親しむ環境のある街であったが、実は観光客としての外国人が多く訪れるところではなかった。

 長島氏がハラール対策と巡り合ったのは、2017年11月の料理研究家・清成弥生氏との出会いであった。清成氏はハラールやヴィーガンの研究を行い、この分野の料理教室を営んでいる(本連載の第4回で紹介)。

 川越幸すしの三代目である長島氏の父は、かつて埼玉県鮨商生活衛生同業組合の理事長を務めていた。同協会では埼玉の寿司の名物として野菜寿司をつくり上げたが、その商品化のアドバイザーを務めたのが清成氏であった。

 その清成氏が長島氏の父に同店にハラール対策に取り組むことを推奨したのが2017年11月のこと。父が長島氏につないで、長島氏は初めて清成氏と出会うことになり、そこからハラールのことを学ぶようになった。

川越幸すしの店内は和食堂、お座敷など多様な構成