日本料理店が多く、外国人を受け入れる環境がある

350坪の敷地を持つ川越幸すし

 川越幸すしは、一代目の時代はカウンターのみの寿司店であった。現在の敷地350坪、2階建てで、寿司カウンター、和食堂、奥座敷と3つの様式で構成する大きな店は、二代目が昭和の中頃に手掛けたものだ

 川越には環状線や国道16号線バイパスが通っており、交通の要衝であることから周辺に工場団地が誕生し、高度成長時代に大きく隆盛。同店には昔から法人の接待需要が多数存在した。ちなみに川越の日本料理店は、お座敷がある店が多いという。それは小上がりではなく、きちんとしたお座敷である。お客さまは海外との取引先もあり、接待の場所として日本料理店が重宝されたわけだ。

 だが、近年は、お客さまの予約などの際に「接待」という言葉が減ってきているという。そこで、かつては平日の夜のみの営業で、日曜日を定休日にしていたが、それを変更。現在の営業時間は、平日は11時30分から14時ラストオーダー、17時から20時30分ラストオーダー。土日祝日は11時から14時30分ラストオーダー、17時から20時ラストオーダー。これを従業員約30人(社員8人)で運営している。

四代目の長島氏が女性で跡継ぎとなった背景

株式会社貴響代表取締役の長島貴子氏

 長島氏は三代目の長女。高校生時代に「将来は人を笑顔にする仕事につきたい」と思うようになったという。学生時代に家業である同店でアルバイトをしていて、お客さまから大層喜んでいただいたことがあり、「自分の舞台はここにある」と確信したのだという。 

 長島氏は「家業を継ぎたい」という思いを募らせていき、3歳年上の兄にその了解を得た。そして、両親の前に土下座をして「家業を継がせてほしい」と懇願した。長島氏が20歳の時であった。そして、本格的に四代目となるべく道を歩むことになった。長島氏は「思い立ったらすぐに行動する人」を自認しており、このときも「家業を継ぐのであれば大学に行く必要はないだろう」と、退学届けを提出して修業に出る準備をしていた。

 そんなある日、両親から「大手ホテルの副社長」という人物を紹介される。両親からは「その人にお前のことを預けようと思うから、自分の言葉で将来の決意を語りなさい」と言われた。

 長島氏は、いかにも厳格な雰囲気の彼に飲食店でお客さまをおもてなしする仕事の素晴らしさとその道で修業をする決意を語ったところ、彼からこのように言われた。

「お前の決意の強さは目を見て分かった。しかし、大学は卒業しておくように」

 長島氏は彼を師となる人物とあがめて、すぐに大学に行って退学届けを撤回。大学4年生からそのホテルでアルバイトをするようになり、そのまま就職した。