月刊『商業界』2018年8月号の巻頭特集「存続する百年企業の底力」。百年以上の歴史をもつ老舗小売店を取材し、そのバックグラウンドと長く愛される秘訣を探るという特集です。

 100年の間にどんな出来事を乗り越えてきたのか。いつの世にも通じる変わらない価値とは。本誌に掲載された7店舗のうち4店舗をチョイスして再掲します。

本店のショップ。赤いユニホームの販売スタッフが、今も崎陽軒のトレードマーク。

 

創業1908年(明治41年)
崎陽軒(横浜市)
三代目 野並直文 さん

代表取締役社長 野並直文さん。1949年1月、横浜市生まれ。71年慶應義塾大学商学部卒業。80年慶應義塾大学大学院経営管理研究科修了。72年に23歳で崎陽軒に入社。91年42歳で三代目取締役社長に就任。横浜商工会議所副会頭、公益財団法人よこはまユース顧問。「会社を生かすも殺すも三代目次第」と子供のときから言われていた。

ローカル主義推進で110年目も業績過去最高

1954年、東急東横線のホーム売店。「シウマイ弁当」が発売されて間もないころ。

「チャレンジすることがうちの伝統なんだと思います」と三代目の野並直文社長が語るとおり、今年110周年を迎えた崎陽軒の歴史はまさにチャレンジから始まった。

 1928年に日本初のテークアウトのシウマイを販売。戦後の50 年には女性販売員のシウマイ娘を登場させ、当時としては画期的な販売方法として注目された。その後、シウマイ弁当を考案して大ヒット。

 同社のシウマイ弁当は、おいしさ、販売方法、独特のマーケティングを武器に、今では一日約2万3000個を販売と、日本で最も売れる駅弁となった(弁当全体では一日約3万9000個販売)。

 最近は、シウマイ販売を横浜に限定する”ローカル主義”を打ち出し、昨年は、過去最高の年商242億円を達成している。

斬新なアイデアが続々――シウマイ娘で売上げ加速

1950年、横浜駅で「シウマイはいかがですか」と車窓から売り歩いたシウマイ娘。

 全ての始まりは、横浜駅の構内営業。名物のなかった横浜で、初代社長の野並茂吉氏が豚肉とホタテの貝柱を使い「冷めてもおいしいシウマイ」を開発。横浜の名物にするべく売り出した。

 その後、女性販売員のシウマイ娘を登場させて大人気となり、シウマイ人気は高まった。当時、女性販売員は珍しく、シウマイ娘は小説や映画にも登場して話題となった。

 当初、横浜駅は東京駅に近いことから、駅弁販売は不振だったが、シウマイ娘のブームに乗り、シウマイ弁当を発売すると順調に売上げを伸ばしていった。

 その後、漫画家・横山隆一氏により目鼻が描かれたしょうゆ入れ「ひょうちゃん」、真空パックシウマイの開発、シウマイの自動販売機など、次々と斬新なアイデアを導入していく。

「真空パック」という言葉も、同社が発案した言葉だそうだ。

 また、830円という安い価格にも秘密がある。デパートなどの崎陽軒の販売コーナーはショーケース1台のみ。ここで多量の弁当を売り上げており、坪効率が高いのだ。このためデパートなどの営業料率も低い設定が可能となり、830円という価格が実現した。

シウマイ弁当。揺れる車内でも食べやすいように一口サイズに作られている。割り箸は、売店で弁当を積むとき邪魔にならないよう短くなっている。浜っ子の条件の一つに崎陽軒のシウマイ弁当の中身を言えることがあるそうだ。

 さらに、弁当の味を守るための工夫もある。経木(きょうぎ)の弁当箱で、中身を適度に保湿。ご飯は、蒸して作ることによってモチモチとした食感になった。お焦げを作らずにおこわと同じように米を蒸すことを思い付いたのは、初代社長だった。

 90年前と変わらぬレシピで作られるシウマイと、独自の製法で作られたご飯、そこに鶏唐揚げ、まぐろの照り焼き、あんずなどが入った崎陽軒の弁当。今では、横浜の名物になっただけでなく、長い歴史があるだけに、多くの人がこの弁当にまつわる思い出を持っている。「思い出と一緒にあることが特徴なんです」(野並社長)

ローカル主義に徹すると同時に多角化経営に

本店地下のレストラン「亜利巴"巴"(ありばば)」のランチバイキングのシウマイコーナー。蒸したてのシウマイも食べ放題。毎日、行列ができるほど大人気だ。

 三代目の野並社長が就任したのは、バブルが崩壊した91年。それでも3年くらいは順調だったが、就任4年目くらいから厳しくなった。

 そこで、人事制度を改革して、それまで中・高卒を採用していたが大卒も雇用。日本的な終身雇用をやめて成果主義にかじを切ることで、はびこっていた職人の前例主義的雰囲気を改革していった。

「ぬるま湯的なところから筋肉質な体質に変えたんです。職人の良さもあるけど、新しいことをやっていこうとすると抵抗勢力になってしまうんですね」(野並社長)

 例えば、それまでは年中同じシウマイ弁当を売っていたが、季節弁当を春夏秋冬と初夏の年5回展開。母の日、節分などイベントに応じた弁当も販売し始めた。その他、中華レトルト、中華菓子や点心、レストラン、宴会事業も強化した。

 そして、2000年代に入ると社長は”ローカル主義”を英断する。

「真にローカルなものがインターナショナルになり得る」という大分県の前知事、平松守彦氏の「一村一品運動」の考え方からヒントを得たという。

 2007年頃から約3年をかけて全国のスーパーマーケットで展開していたシウマイの卸から撤退。その結果、当初は毎月数千万単位で売上げが減少したが、4年目あたりから上昇に転じ、以後、業績は右肩上がりを続け、6年連続過去最高売上げを更新中だ。

「ブランド価値が上がってきたと感じます。今の人はどこでも売っているものより、あそこに行かないと買えない限定品に魅力を感じるんです」

 現在、シウマイ、弁当、レストランの3本柱に加え、本店(レストラン、宴会など)、点心(月餅などの菓子やレトルトも含む)を加えた5本柱で事業を展開し、業績は好調。

 それでも〝挑戦〟する精神を忘れてはいない。「シウマイや弁当だけ売っていればいいわけではない。いろいろなものにチャレンジして売っていこうという姿勢を強調しているんです」

 今後の目標としては、「新しい横浜の名物になる中華菓子を作りたいですね」と社長は笑顔で語った。
 

  • 1915年の横浜駅移転と同時に匿名組合崎陽軒がスタート。半年後に初代社長の野並茂吉が支配人に就任した。
    企業名/(株)崎陽軒
    本 社/横浜市西区高島2-12-6
    代表者/野並直文
    創 業/1908年(明治41年)
    年 商/242億円
    従業員数/1962人

 

 

 

※本記事は『商業界』2018年8月号に掲載されたものです。内容は取材当時のものです。『商業界』はオンラインストアや紀伊国屋書店など大手書店で発売しております。